はんなりブログ

何者でもない人間の日常。気軽にコメントください。

あなたに褒められたくて

 

 

本当に思いが入っているのに、入ってない素振りをするところが格好いいのかもわかんないですね。

 

 

これは高倉健の本に出てくる一文で

すごく心に残ったから

メモに残してた

四年前に読んだのにこの一文だけは鮮明なままだ

 

高倉健のことはあんまり分からないけど

硬派中の硬派

物質でいうとダイヤモンドくらい硬い人のイメージ

 

そんな人が

そういうことをいうと

やっぱ人情に溢れててかっこいい

 

 

その一文はやっぱり

人として大事な部分が詰まってるような

 

人に想いを込めて、親切にして

気がつかれること

気がつかれないこと

って大きな違いがあると思う

むしろ真逆のベクトルかもしれない

 

親切にする→気がつかれる→感謝される

親切にする→気がつかれない→感謝されない

 

前者は自分に返ってくるけど

後者は自分には全く返ってこない

 

なぜ人に親切にするのか、優しくするのか

少しでも感謝されたいと思っちゃうのと

本当にその人が良くなればいいとその人のためのことだけを思ってるのは

やっぱり全然違うよな

 

自分のためと相手のため

同じ行動でも目的が真逆になってしまう

 

少しでも気がついて欲しくて

見える優しさを出していく自分のしょうもなさを嘆く

 

自分は気がつかれなくても構わないと言った行動を取っていきたい

だけど、気がつかれないように隠された好意に気がつけるような繊細な人間になっていきたい

 

いうのは簡単だけどね

考えるだけで至難の業である

 

 

飲み

 

 

楽しかったなの足取りの軽さと

寂しくなるなの足取りの重さの

ちぐはぐ感でどういう風に足を運べばいいのか戸惑ってしまう

 

楽しかったの方に軍配が上がったみたいで

誰もいない橋の上で少しスキップをした

 

長時間話したのに

あっという間なあの感じが

楽しさを裏付けてる証拠だった

 

お笑いのネタで何が面白いかとか

どんな人が好きかとか

笑いのツボが浅いから

どんなことでも笑ってるから

ずっと楽しい

 

自分のことを褒めてもくれるしさ

 

半沢直樹的な仕事をするんだったら

倍返しをしないといけないのにな

 

言葉の境目がみつからなくて

 

選ぶ言葉がわからなかった

 

自分ことを聞き上手と評してくれてる割に

全然聞き上手にはなれなくて

すごく自分自身のことを喋らされる

 

2枚くらい上手をとられ続けた結果の

スキップなんだと思った

 

 

やっぱり素敵だなってさ

 

そんな存在でいてくれるせいで

 

やっぱりどうしても

次の場所で出会う他の人は勝てないよな

嘆いても仕方ないな

 

もっとポジティブを見習って

頑張っていこう

 

文字に起こせば起こすほど

自分の浅はかさが出ちゃうからこの辺で

 

 

 

 

 

 

 

卒業

 

 

今週のお題「卒業」

 

大学卒業までしたけど

人生の中で一番嬉しかったのは

もしかしたら補助輪卒業かもしれない

 

学校の卒業なんて

卒業したくなくてもしてしまうものが大半だ

時期が来れば皆卒業

一斉に卒業

 

でも補助輪だけは

自分の足で

自分の意思で卒業していかなければならない

 

しかも補助輪つけているときは

あんな細い二輪で自分がバランスを取れるようになるのかと不安になってしまうし

補助輪無しの自分の姿なんて想像出来ない

 

出来ないことが

出来るようになるってのは

この感覚だと思う

 

だんだんと出来るんじゃなくて

ある日突然出来る訳になる

境目っていうのは、思ったよりくっきりとしたものなんじゃ無いかなって

 

一回出来るようになったものは

成功率がどんどんと高まっていき

最終的には失敗することさえ難しくなってくる

 

こけることさえわからないような状態になる

 

目の前に広がる霧が一気に晴れるような感覚を

卒業とよんでみようかな

 

初心者卒業

ペーパードライバー卒業

 

卒業するためには

泥臭くやってこけてこけて、こけ続ける気持ちが大事なんだろうな

 

そういうのがやる気、情熱なんだろうな

 

来週からは

新社会人としての一歩を踏み出す

目の前には濃霧がたちこめていて

右も左もわからないだろう

 

だけどそれが晴れた先には

補助輪卒業と並ぶかそれより少し下くらいの達成感はあるだろう

 

補助輪なく走れた時は

空へと旅立ちそうな嬉しさがあったから

それを超したら大したもんだよ

 

帰る変える

 

 

ライン天気には京都の天気を教えてもらうようにしてたし

Amazonとかも全部京都の住所にしてた

 

それを諸々変えるのは生活に対して必須だけど

四年間使った住所は忘れたくないな

もう不要なんだけどな

 

いつかまた京都に帰る時には

マップを調べずに帰れるようでありたいな

流石に母校は忘れないだろうけどさ

どこまで覚えていてさ

どこまで忘れてしまうんだろうな

 

その境界線はどこだろう

案外覚えているものなのかな

高校のクラスの人たちも割と覚えてるし

あーでも

思い出話とかはもうほとんど覚えてないな

あんな話あったねって言う話をしても

案外ピンと来ないことが多いのは

 

自分が少し薄情なのかな?と思ったりもする

 

それでも

ライン天気の設定を変えることすら少し抵抗があるくらいには

後ろ髪を引かれまくってるのは

 

ただの面倒くさがりなんだろうかな

 

変わる変わらない

 

 

 

ツイッターかなんかでみたけど

変わらないためにも

変わり続けないといけないって

なんかちょっとしっくりきたような来ないような

 

人間関係とかも

なかなかずっと一緒に過ごすことって難しいよな

こんなにも楽しくて素敵な日々なのに

誰かが決めた節目に流されて

離れ離れになっていくこの不思議な力を何度恨んだことだろう

そんな恨み節を言いたいわけじゃなくてさ

 

それでも、変わらない関係であるためにはさ

どこか新しい場所で自分の居場所を作ってなきゃいけない気がするんだよな

 

友達のことをたまたま電車で乗り合わせた人らで

時が来たらまた別の電車に乗って違う方向に進んでいくんだとは思うけど

 

電車に乗ることをやめちゃったら

友人とは少し関係が変わっちゃうのかな?

 

みんなと進んでいくペースとずれちゃったら

相対的に自分のとの関係が変わってしまうもんね

 

だけど、そんな大したことじゃさ

友情なんて崩れないとも思うんだ

 

変わらないためには変わり続けないといけない

 

って

なんかしっくりくるようなこないような

 

人間関係について考えたけど

他にも、生活とか勉学とか、色々あるんだろうと思うけどなぁ

 

自分自身、なにを考えているかよくわかってないなら

読んでくれた方にはあんまり伝わってないんだろうな

自分本位ですみません

 

片道切符

 

 

2009年WBC決勝でイチロータイムリーヒットを打って日本を優勝に導いた日に小学校を卒業して(多分そうだった記憶がある)

 

2019年イチローが引退をした日に大学を卒業した

 

この10年間お疲れ様でしたとしか言いようがない

小さい頃は毎日のようにイチローが今日は何本打ったとかのニュースが流れていた

これは日常に組み込まれた、天気予報のような報道だったな

 

すごいことを日常的にし続けていたんだなぁと思う

 

10年もあればいろんな人と出会って別れて

出会って別れてを繰り返す

 

たくさんのことがあったなと思う

そして今日もまた別れがあった

大学四年間を共に過ごした人と離れ離れになっちゃった

 

みんなそれぞれの場所に移った

同じ空の下のどこかで、戦っているみんなのことを想像すると

自分も自分の場所で思いっきり頑張れるような気がする

 

気合を入れて

本気を出して

だけど肩の力を抜いて、笑顔で頑張れる

 

若いうちに挑戦することを恐れていてはだめ

命を燃やすよ

無数にある人間の中から

出会った数運命を感じながら

その人たちに背中を押してもらうんだ

ゲーーム

 

 

Googleがゲーム市場に参入するみたいだ

さっそくソニー任天堂の株価が下がっているらしい

 

ゲーム好きだけど機械には大変疎くて

技術的なものに対して詳しいことはわかんないけど

 

ゲームがどんと進化する可能性を秘めているから、大変楽しみではある

 

以前までは、ハードを生み出した企業が

ロックインすることができて

市場を支配してきた

 

最近では

スマホがプラットフォームに移行しては側面もあるけどね

 

今後

Googleが巨大なプラットフォームの持ち主になろうとしているのは今後どういう影響を及ぼすんだろうな

 

使えるデバイスが限定されなくなったら

ゲームの壁がなくなって開発がとんでもなく進んでしまう可能性があるな

その分参入障壁が低くなって、質の低いゲームもたくさん出てくるだろうけどね

 

ゲームの歴史の中では

そういった質の低いゲームたちが

ゲーム市場にダメージを与えた事実はあるけれど

それは、購入してからではないとゲームの質が見定められなかったためで

 

今はどのゲームが面白いかどうかは

ネットのレビューとかで一瞬で判断できるしなぁ

 

そういった色々なことを考えて気になるのが

ゲームの販売方法かな?

どのタイミングで消費者はお金をはらうのか、

一回きりの課金なのか、継続的にする必要があるのか。

 

それも全部自由に決められるのかな?

とりあえず

色々気になるしやってみたい

 

任天堂がゲーム界での存在感は薄くなってるけど

むしろ娯楽産業であるゲームのトップがずっと同じ企業って言う方が不自然な出来事だと思う

 

イノベーションを1人で起こし続けるとは思えない

 

けど

任天堂はIPのチカラがものすごいから

ゲームがある限り、かなり安泰だとは思うけどな

Googleが覇者になったところで

これからマリオやポケモンができなくなるとは思えない