自分は勉強嫌いだ。
食事=勉強
まずこのように考えてみた。
食欲=好奇心
食欲がないと食事は進まない。
好奇心は食欲のようなもので旺盛だと、誰かに止められようが自分から学ぶという行為をやめることがない。
食材=教科
何を食べるかによって、とる栄養素も違う。
英語の勉強をしたって数学の力は手に入らないのだ。好きなものばかり食べてても大きくはならないぞ。
口の大きさ=理解力
口の大きな人は、みかんを丸ごとほおばってしまえばいいけれど、小さい人は1つずつちぎってたべよう。頑張って一飲みしようとしても、噛めないし飲み込めない。
吸収力=記憶力
食べたものは、少なからず出て行ってしまう。
でも全然太らない人と、太ってしまう人がいる。それぞれ個人差があるみたい。
無駄なぜい肉はつけるべきではないけれど、ここでは知識と考えて。たくさん太っていこう。
…勉強することをわかりやすくかこうとしたら、かいてて自分でも訳が分からなくなってしまった。
自分の文才の無さに呆れる。
文をかくってむずかしい!
誰か語り合いましょう。そうしたらもっと上手く伝えられるはず!
何が言いたいかっていうことは、勉強は才能だけじゃない。努力でなんとかなる部分も必ずある。と言いたい。
嫌いな食べ物があっても、おいしくいただく調理法を研究して、たくさん美味しくたべてください。
そして、食事はバランスの良さが重要視されるけど、勉強に関してはそれが必ずしも良いとは限らないと思う。思いっきり偏食でも、それはほんとうに自分にとって、良い生き方になる可能性もある。
自分が思っていることを、文字だけでうまく表現することってほんとうに難しい。
孔子は何千年間ずっと、教科書にされ続けている文章を残したって考えるととてつもなく天才だ。それも、まとめたのは弟子だったかな。そんなことはこの際どうでもいい。
でも、もしかしたら彼は彼のほんとうに伝えたかったことの10%も表現できてないかもしれなかったりして。