はんなりブログ

何者でもない人間の日常。気軽にコメントください。

がむしゃらら

 

自分を表現するのに必要な過去のエピソード

そんなものどこを探したらあるのだろうか

 

いつだって自分は、観客だ

主役にはならない、なれない

 

主体性がないこと、一点において

ここまでのディスアドバンテージを抱えるなんて

 

主体性ないことをかくのか

悪いことをかくわけにはいかない

 

ほんとうは正直に全部さらけ出して

さぁ、自分はどうですか?

合わなかったら、さようならって

いうのが理想だ

 

理想じゃないよ、甘えだよ、綺麗事だよ

 

自分がこんなに小さな人間ですよって

分かってることをアピールしてなにになる

 

そんな予防線張って、自分をよく見れているな

って思わせてなんになる

 

分かってるつもりでも分かってないことたくさんあるし

 

分かってるアピールするくらい余白があるなら

ちがうこと書いて、フィードバックしてもらえよ

 

色々、勘違いしてるんじゃないよ

 

弱さを隠そうとしよろ

強がっていけよ

ダサい自分を、かっこよく見せろよ

それがダサくても曲げるなよ

 

考えろよ考えろよ

 

絞りきったタオルを絞って

乾いた喉を潤そうとしろよ

 

探せ探せ

人生7000日分の中から1日を見つけろよ

 

一番盛れる角度をみせつけろ

 

人が良いって

言われることもあるけれど

 

そんなこと悪いって本人には直接言わないし当たり前か

 

そして何より、エピソードが思い浮かばないから、本当は大したことないのだろうな

 

所詮その程度だ

 

でも人というのは、小さいことの積み重ねが出来上がるような気もするし

 

ああ、わかんないな

人柄から象徴するエピソードを作り上げるのもありなんかな

 

これは、コペルニクス的転回