自分が重荷と感じていたものが
他の誰かからしたら軽いものだったりすること
あるだろう
自分が簡単なことだと思っていたことが
実は誰かにとっては苦痛だったりしてさ
そんなことを気付かずに
価値観の押し付け合いに明け暮れる毎日を過ごしている
自分は自分から脱して物事を考えることは出来ないのか
全員が全員そうであると言えるものに、違うと言えるものに
果たして議論の余地はあるのか
自分の価値観からすればありえないことや、大変なことは沢山ある
それを当然のことにようにやってのける人間には、そこには、大変とかの概念は存在しないのだろうか
自分が自分から脱出して考えることができないなら
常識として考えられていたもの
歴史や哲学や宗教なんて
突き詰めれば個人のから生まれた、文字、文章、概念であるのに、
どこに、どこに説得力があるのだろう
長い間常識とされていたものだって
座高を測っている意味だって本当は無いのに
常識とされているから、慣行していた
常識は疑い続けなければいけない
正しいことなんて何もない
その中で誰をどれを何を信じるかは自分で決める
人生は自由だ
飛べ飛べ
正しいことなんて何もないなら
間違ってることも何もない
あるのは、正しいと思うか
間違いと思うか
その心だ