はんなりブログ

京都に住む大学生のだらだら日記→会社員になりました。あまり更新できないかもしれないけど、気軽にコメントください。

おせっかい

 

 

自分とは関係のないことに対してどのように関わるべきだろう

 

 

困っている人には手を差し伸べるべきだよ

という意見

部外者は引っ込んでおいた方がいいよ

という意見

 

どっちの意見も納得するけど

どっちが良いのだろうか

 

最近

SNSでさまざまな考えが飛び交っていて色々議論されている

どれもこれも平行線で

結局、1番支持を受けているのは

1番中途半端な意見な気もする

 

最近で言うとタトゥーの問題

 

タトゥーには興味はないけど

入れることには理解を示したい

だけど嫌悪感を抱く人も一定数はいるね

 

多様性を認める広い心を見せて

答えは出さない

大人な対応をしているように

 

無難な答え

触らぬ神に祟りなし

 

三者の意見としては正解に近くて

話をややこしくしないですむ

 

だけれども

当事者意識を持つ必要があるんじゃないかと思った

 

それはある言葉と出会ったからだ

それがこれ

 

"ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった"

 

ナチスが人々を弾圧した時に

ニーメラーという人がいった言葉で

とりあえずウィキペディアからのコピペなんだけど

〜をに入る言葉がユダヤ人とか諸説あるらしい

 

これを知った時

少し考えさせられた

 

どう読み取ればいいのだろう

 

自分が声をあげなかったから、誰も助けてくれなかった

 

誰しも他人には興味はない

 

なんか色々あると思うけど

社会そのものを説明しているような感じがした

 

声をあげなかったことの後悔とか

声をあげていれば助けられたかもしれないという

心がけで解決する問題だけじゃない

 

個人と社会の関係を示していて

一人の力は大勢にとっては無力であるような

虚無感を覚えた

 

 

 

たしかにこの人一人が声をあげていても

この人は報われることはないだろうけど

その一方で

みんなで声を上げれば抵抗することが出来るという可能性も感じた

 

だからこそ

自分にとって関係のない問題に対して

どのように向き合っていくのか

 

おせっかいをどのようにしていくのかは

非常に難しい問題であって

よくよく考える必要があるような気がしてきた