インスタグラムやツイッター
SNSは色々やってるし、よくこまめにチェックしている
おしゃれなパンケーキ、飲み会とか、テストのヤバさとか色々な情報で溢れかえっている
しょっちゅう自分の周りの出来事を載せる人は、その投稿で自分のすべてを逐一表している感じがして、なんとなく表面的なものにこだわりすぎているなとおもう
それを投稿して、自慢したいのか?
それを投稿して、羨ましがられたいのか?
と、思ってしまう自分は卑屈であるとわかっている
そう言った投稿には、自己顕示欲の匂いがプンプンするのに、自己顕示欲なんて全くないです的な振る舞いをしているところにも、なんとなく心の引っかかりを感じる。
だったら、みるなよ。
誰もお前にそんなことを言われる筋合いなんかねぇんだよ。と言われんばかりである。
何も反論することありません。
でも1つだけ、おもうことがある。
花火大会でムービーを載せること。
誰かに見せることが目的となってしまって、純粋に花火を楽しむことが阻害されていないのか。
お肉のジュージュー具合を、美味しそうに撮ること。
美味しいタイミングを見逃してないか。
誰かに発信することは、ぜんぜん悪いことじゃないけれど、それ自体が目的になってしまって、本来の楽しみを見失ってしまってないかが、心配になってしまう。
他人にみせることが満足になる。
もっと自分を楽しませるような、ことに心血を注いだほうが、真に楽しんでいると言えるのかなぁって。
このブログももちろん誰かに読んでもらって、何かしらのコメントをもらいたいと言う願望はめちゃめちゃある。
独り言にも、聞く相手がいてほしかったりする
それに加えて、自分の今の考えを込めた日記をなん年後かになって見返したら、面白いだろうなって思って続けている面もある。
社会人としてこの日記をみて、バカだなぁとか、ここは変わってないなぁとかとか…
人は1人じゃ決して生きていけないけれど、
他人本位に生きすぎるのも、違う気がするから難しい。