はんなりブログ

何者でもない人間の日常。気軽にコメントください。

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高校時代も

自分のアイデンティティを求め部活をした

高校の部活仲間も、自分は最高だったと思う

 

くだらないことを出来る、笑ってくれる

 

部活と勉強の両立は思ったより忙しい

毎日放課後三時間

5時から8時までした

 

月曜が休みだったけど

土日は部活、毎日毎日学校に行ってた

先輩もイカツイ人がいた中で

なんとかやっていけた

怪我がちな先輩が多くて

練習とか練習試合とかで、自分が代わりをすることが多かった

 

それで、上手くいかないで

誰にも相談できないで、悩んでた時期もあったな

中学の頃Bチームだったおかげで

大体のポジションをなんとなくできたから

使い回された

 

怪我で出てない先輩に説教されて

 

まじめに聞いてるふりをしてた

先輩に反抗出来るほど、自分は強くも上手くもなかった

 

それでも、強豪相手に、マグレでも点が取れた時には嬉しかった

印象に残ったプレーは結構覚えているもんだ

達成感はあった

 

自分の人生、意外とハンドボールが主に占めてるけど、苦い思い出の方が多いから

この辺にしておく

 

 

勉強と部活の両立が難しくて

ペンを握りながら、寝ることもよくあった

 

朝8時前から始まる授業のため、7時には家を出ないといけない

 

帰ってくるのは夜の9時で、そこからご飯を食べて、風呂に入って10時30分

そこから課題を始めるけど

自由な時間が1秒もない

 

ゲーム大好き人間で、いつもいつもゲームしてた自分が

ゲーム離れできたのは、この高校だったからだろう

 

本当に毎日追いかけれらている感覚に襲われて

ブラック企業を超えるブラック高校だったな

 

ひとりになれる時間は少なかった

部活仲間と帰って、別れた後

さらに10分くらい自転車を漕いで家に着く

 

その時に、1日の疲れがどっと出た

自転車を漕ぎながら

泣いていた日々もあった

その時に、家入レオのシャイン

に何度助けられただろう

 

高1の時に、父がガンになったことは

誰にも言わなかった

 

それを、いっちゃうと

言い訳にしてしまう気がして

大変なのだと、理解を押し付けてしまうような気がしたのかもしれない

 

それとも、ふつうに言えなかっただけなのかもしれない

 

体育館のカーテンを閉めるとき、少しひとりなる

カーテンの裏で野球部が片付けをするのを見ながら泣いていた

 

ガンの種類によっては、取り返しのつかない

ことがあるけど、幸い父は治った

復帰したときは、回復が誰よりも元気だと驚かれていた

 

その時の自分は父はもう死んでしまうのだと

勘違いをしていたのかもしれない

とにかく、父は偉大だ

 

胃の3分の2を切除して

力仕事を再開した

 

周りが口を揃えて、痩せたねと言うほど

見た目は変わった

 

だけど、ダイエットをしたとかって言って

本当のことは話さない

 

言ったって心配かけるだけだって

 

こういう、見栄っ張りなところは似たのかもしれない

 

父も高齢でその体で力仕事をまだしている

自分が大きな負担になっていることは

わかっているから、早く楽をさせてあげたい

 

だから、就職をしなければならないのだ

でも、自己分析は全く進まない

 

自分が仕事内容でどうしたいかああしたいかなんて

1番に考えることじゃないんだと、そう思う

 

楽をさせてあげるために、なんだってする

それだけだ

 

また話がそれて、自己分析じゃなくなってしまった

 

長くなってしまったから今日はここまで