はんなりブログ

京都に住む大学生のだらだら日記→会社員になりました。あまり更新できないかもしれないけど、気軽にコメントください。

忙しない

 

 

自分史上最高に多くの業務をしてる日々で

なぜがブログを書きたくなった

 

多くの業務とはいっても

初めての業務でおぼつかない点が多々あるから

 

効率が悪くて

大したことをやってないけど忙しいという状態

 

仕事ができるから多くのことをまかされるわけでもないし

仕事ができないから、回らないというわけでもない

 

と勝手に思っている

ほどほどの人間が

ほどほどに新しいことをするから

以前より忙しくなっているというレベルの話

 

ほどほどことを、いっているから

結構たくさんの人にこのしんどさを味わっていただいているとおもう

 

仕事で圧縮された時間を過ごしてると

日記を書く余裕ができるほどの余裕を感じる

 

 

めちゃめちゃ暇な日々に毎日書いてたこの日記

めちゃくちゃ忙しくても書きたくなるのは不思議な感じがする

 

他責思考はしたくない

忙しいときに何か頼まれても絶対断らないポリシーを抱えながら

自分を痛めつけていこう

 

 

 

マシンガン

 

 

主人公がマシンガンで乱射されてる映画

だいたい当たらずに事なきを得る

 

あの臨場感の中に安心感を強く感じる

 

あまり映画とか漫画とか観るじゃないけど

だいたい当たらないことくらいわかる

 

もっとたくさん映画を観ると

当たって死んでしまう主人公にも出会うことがあるのかな

 

そのどこからともなく来る安堵の心は

想像力があるのか、それともないのか

 

本当に主人公の気持ちになってみれば

当たってしまうかもしれないという恐ろしさのあまり、安心してみてられたりはしない

 

だけど

映画においての先の展開を想像するならば、敵がマシンガンで主人公を打ったとしても

弾丸が悉く近くのドラム缶や鉄パイプに弾かれて主人公は画面外に消えてしまう

そして、マシンガンは弾切れ弾詰まりを起こしてしまうパターンだってある

 

どっちが想像力があるのかな

想像力という言葉が適切ではないような気もするけど

 

主人公だから当たらない、死なない作品は多々あるから

それを裏切ってくる作品に惹かれたりすることもあるだろうな

 

主人公がいない作品の方が

先の展開が読めなくて面白かったりするかもしれないな

 

とりあえず

銃が当たらないことを、確信しながら

作品をみてしまう自分の作品に対するいい加減な態度は

理由はないけどなんとなく良くないなって思った

ファブリーズ

 

ファブリーズってCMする必要あるのかな

ファブリーズってもう知名度申し分ないと思うし

消臭的なライバルもいないと思うし

絶対的な王者がその地位を確固たるものにするために他の商品をオーバーキルしてる気がするな

 

勝った利益を宣伝に使うことで

ロックインをしてさらに自分たちの地位を不動のものにしてるんだろな

 

でも、そんなに宣伝する必要ある?

 

ファブリーズ買う人はもうcmを見て買うことはないし

買わない人はcmまでも買わないと思うんだけどなぁ

 

広告宣伝費何千万円を儲けるために

ファブリーズ何個売ったらいいんだって

いくつの家庭の消臭を請け負わないといけないんだろうって思う

 

すごい人たちがすごい理由があって

ノブを採用しているcmを流しているんだろうけどな

 

その意図を感じてみたいな

 

mental

 

 

自分のことはなかなかよくわからない

 

なんとなく気持ちがいい日も

なんとなく仕事に行きたくない日もあって

 

それがなんなのか

なにが原因なのかはよくわかんない

 

心には化学的な物質が影響してるんだろうか

2日酔いの時に憂鬱な気持ちになるのは

アルコールが悪さしてるせいだって聞いたこともある

 

快楽物質が脳に到達することで楽しさを感じるとか

なんとかホルモンが分泌されてあーだこーだとか

 

そんなことも聞くことはある

多分いろんな研究が進んでて実証されてるんだろうな

 

言葉や映像や音楽や芸術やなんやかんやを感じると

物質が分泌されて作用されるよりも早く

心に届いてる気もする

 

その原因を突きつめたいとかじゃないけど

心がどこにあるかも知りたい気もする

 

つまりはもっとなにかを知ることで

自分をコントロールできたらいいなと思ってる

 

動かざること山の如し的なメンタルをこの身に宿したい

 

でも、全部コントロールできるのもロボットみたいで不気味だなぁ

 

つまりなにが言いたいかというと

眠りたいのに眠れないのはなんでだろうっていうこと

18時ごろにちょっと寝てただけなのに

 

 

1/2

 

 

1年の2分の1が過ぎ去った

このペースで行くと人生も案外早く終わるかもしれないなとも思って少し安心した

 

この安心感はたぶんあまり良くないな

成長を止める安心感

 

かといって

ギラギラな目をして

人脈とか起業なんてワードを使うような

人材は目指してない

 

ギラギラせずに

人生をキラキラさせる余裕を持ちたいとう

どす黒い欲望は

 

たぶんギラギラのその先にあるような気がする

 

すごく余裕なほどに力が欲しいな

 

 

1日を大切に生きていたいという

ざっくりな気持ち

 

経済情報を叩き込んだり

セールスしたり

資格試験に励んだりさ

仕事中心に回っている

この日常

 

たぶん、それだけしてたらおかしくなってしまう

 

どこか逃げ場とか余裕とか

別の場所を作ることが大切だ

 

仕事に関して自己研鑽することはいいことだ

いいことだけれども

それはたまたま仕事にしてるからであって

やること自体になんの意味もなければ

アイデンティティでもない

 

あくまでも仕事としてのそれ

 

適度な距離感をもってやる

それがモットー

 

近視眼にならないための場所として

ここにいたいな

 

 

 

 

 

 

 

絵を描いたり

写真を撮ったり

日記を書いたり

レザークラフトしてみたり

 

クリエイト(笑)

になっちゃってる

 

(笑)を外すには

多分、他人のそれもある程度の注目や評価によって勝手に取れていくのかな

 

他人から見たら

それがどれだけしょうもなくて

鼻で笑われて

自己愛たっぷりのグロテスクで

とてもじゃないけど創作とは程遠い

ゴミに見えたとしても

自分にとっては大切なんだから

楽観バイアスに包まれた

それらを大切にして生きていこう

 

人生100年時代なんて大きなこと言ったって

屋久杉は1000年以上を生きている

 

 

あーあ

 

 

死が日常にあるTwitterのアカウントをみて

悲しくなってさ

 

それにくらべれば

どれだけ幸せなのかとか

それにくらべれば

仕事の悩みなんてちっぽけだなんて

 

ホッとしたりする自分がどれだけ情けないことか

 

他人の死を消費してまで

自分を安心させたり

身を引き締めたりさ

 

他人の死までを

どこにいるかのコンパスにしてさ

 

ださすぎる