はんなりブログ

京都に住む大学生のだらだら日記です。気軽にコメントください。

マンネリは良いこと?

 

毎日毎日更新しているけれど

中々しんどい日だってよくある

そういう言う日には1行だけでもいいから書くことが大切だ

 

今日はそう言う日だから、おわります

 

 

と言いたいところだけれど

頑張れそうだから頑張ってみる

 

ブログを更新することは、とくに理由もなく、毎日することだからだと言うことを理由にしている

 

これが意外にたいそうな理由づけよりも

さぼらないでやっていけている理由になっている

 

たぶんじぶんには、意義とか、無益か有益かなんて、つよい原動力にはならないのかなぁとわかってきた

 

簿記の勉強は将来の役に立って良いってことはあたまのなかでは分かっているけど

そんなことでは自分は動かない

 

簡単に言ったらクズだっていうことを

つらつらと言い訳ばかりしているかもしれない

 

でもそれだけ、思いつきでは続かないし

習慣化という力は、意味とかを超えられる気がする

 

なにかしたいことがあれば

それをどんなに少しでも毎日続けていくことが

結果としては大きなものを得ることになるかもしれないと思った

 

感謝は何処へ

 

魚を釣りに行く

竿の準備すらろくにできない、フィッシャービギナーだ

 

今まで釣りに行ったことはあるけれど

いかに周りの人に頼っていたかを、いざ自分がするとなると実感する

 

当たり前だと思っていたことが

実は誰かに頼りきっていて、任せきりになっていたことなんか、ざらにある

 

コンビニでの買い物や、居酒屋での飲み食いも

サービスを提供してくれる店員さんがいないと

何も買えないし、勝手にビールが手元に来るわけでもない

 

でもなんか感謝の気持ちがどこかに去りきってしまってる部分があるのだとお持ってしまう瞬間が少なからずある

 

給料のために働いているのは間違いないことなのだけれども、そんなにつっけんどんな態度で向かって来られると、どちらもいい気持ちにはなれないはず

 

海外では、そっけない態度の店員がいたとしてもなんだか許すと言うかしょうがないとなるような気がする

 

日本のサービスは最高で誇らしいものだけれども、それを作ってしまったのはしょうもない客のせいかもしれない

 

日本のサービスのせいでそれを基準としてしまうしょうもない客を作ってしまったのかもしれない

 

卵が先かニワトリが先かみたいな話になったところ

 

もしかしたら、客も当たり前のように店員さんに感謝してて、見えないだけかもしれないね

 

そんなことばっかり考えてた

 

 

 

 

何年経てば

 

田舎の県の田舎の海に行った

高校の予定が合ったクラスメイトと

 

そこの海は往復500円で定員40名弱くらいの漁船風フェリーで行くそこは、お盆までは結構人が多いらしい

 

お盆を過ぎたこともあって、人は少なかったけれど、県外ナンバーが多くあって

ネットに掲載されてるらしい

 

田舎の県の田舎の海だから

それだけで物珍しいものになってしまうのだろう

 

遅れての合流だったから一人で船に乗って、五分も経たないうちに、島にたどり着いた

 

渡る前に聞いたように人は少なかった

 

その中に見慣れていた顔が7人いた

風に吹かれて飛んでいったタンポポの綿毛が

もういっかいあつまるような奇跡とまでは言わないけれど

それに近いようなものがあると思うし

 

それが出来る人間の素晴らしさを感じる

 

そんな感情は照りつける真夏のビーチには合わないから、バカ話に花を咲かせる

 

友達と話をしていると、通りかかった父と息子に写真撮影を頼まれた

 

東京に住んでいる親子で大分には帰省しているらしい

自由研究に使うと言って、カニを捕まえていた

 

そんな、いい思い出の写真のシャッターを切ることを頼まれた責任は重い

自分もそんな時期があったのかなぁと、気づけば大人になっていたことを感じた

 

それでも微笑ましい親子には、そんなセンチメンタルな感情はやっぱり似合わない

 

写真確認してください、何枚でも撮りますよー!

と笑顔で言うことしかできなかった

 

あの親子のことは、すぐ忘れるだろうし

たくさんのひととのたくさんのであいがあるだろう

 

であってから

さいかいするかしないか境界線はわからないけれど

みんなタンポポの綿毛だとしたら

答えはきっと風の中なんだろう

 

 

ぼーっと見てる

 

地元に帰ってきて、諸々の予定が終わっていく

 

本当に友達に恵まれてるなって実感する

そして、自分がたくさんの人と関わって生きてきたんだなって実感する

 

楽しいし、終わってしまうととても寂しい

 

やっぱりたまにしかできないことだから

こう言う風に悲しく思うのかもしれない

 

みんなそれぞれ将来に対して向き合っていて

しっかりしてきてるなぁと思った

 

自分はまだ全然決まってないけど〜

って前置きして、公務員かなぁって言っている

 

こうすれば誰も文句は言ってこないし

自分でも嘘をついてないと思う

本当にそう思うこともある

 

すごくポジティブに考えるととても柔軟だから、なににでもなれるし、なににでも挑戦したいと思う

 

すごくネガティブに考えると自分でなにも決められない、何かになることを恐れている弱々ハートの持ち主だと思う

 

でもやっぱり、頑張ってる人に憧れるのは間違いないみたいだ

 

周りに頑張ってる人が多いから

頑張って行こうって

自分も頑張って輝きたいって

 

頑張るってなんだよ

そもそも漠然としすぎなんだよと

 

自分はいつでも、傍観者だった

それは今でも変わらない

 

他人の持つものを見てばっかりいて

自分の持っているものをみようともしない

何かを持っているかどうかもわからない

 

傍観者になるのはもうやめにしよう

 

 

SAKE DRUNKER

 

絶賛二日酔いの最中、全く食欲がない

1番してはいけないことは、飲酒であり

お酒のどこが良いんだと思っている最中

 

また今日も飲み会がある

もし飲み会爆発してくれたら、ほっとする

 

命を削りながら飲んでる気がするから

そろそろ人間ドックに行ってなんか色々検査してもらいたい

 

今年成人式を行なった身でありながら

日本の平均寿命まであと60年もあると考えると

日本人はどんだけタフなんだよとしか思わない

 

医療の発達だけで、これだけ寿命が伸びるのって不思議がある

 

平安時代とかほど昔は、平均寿命が40とか50とか早いイメージがある

 

だんだんと食べ物が豊かになって、栄養を取ることで長生きする。

病気に対する治療法やワクチンが増えて来たから、手強い病気の数が減ってきたのはわかる。

 

それでも、人間自体の活動はそれほど変わってないし、むしろ運動不足や不規則な食生活などが原因の生活習慣病が取りざたされる昨今、

寿命が倍近く伸びるのか。

 

これは種としての進化なのか、個体が長く生きることで人間にとって何かメリットがあるのか

 

それとも、資本主義においての、非生産年齢人口の増加を促し、女性の社会進出が余儀なくされ、出生率を下げさせて、最終的には資本主義の破滅を導く、地球からの戒めなのか

 

2日連続2日酔いの

話大脱線小話でした

 

 

 

 

 

ベストコンディション

 

スマホの充電機の接続が悪い

 

さした瞬間は充電できるけど、少し動かすと切れる

そんなことをずっと繰り返しているから

全然充電がたまらない

たまるのはストレスだけ

 

いつも寝る寸前に固定して寝る

ときどき充電できてない時がある

 

あぁって思う

 

こんなことしてるから、電池の状態がどんどん悪くなってきた

 

エアコンや白熱電球もも電源をつけっぱなしの方がエコとか聞いたことある

 

電源をオンするのにエネルギーが必要で、いい状態に持って行くのが大変

 

いい状態になってしまえば、それをキープするのは案外スイスイと行くんだろうと思う

 

そんなことを考えてるけど、コードを買い替えることはできるだけ控えたい

 

充電をできる状態にあるから、無駄な出費といえば無駄な出費

 

買いに行くのもめんどくさいし…

 

やっぱり最初をうまく始めることが出来ない

 

どうせ買うことになるのについ後回しにしてしまう

こんな感じでベストなコンディションを作ろうとせず

好機を逸してしまうのは昔からというか、もう個性になってきたような気がする

世界の塗り分け

 

日本人で熱狂的な宗教家ではないから

神とかに一心不乱になれる人は、少し羨ましいと思う反面、自分にとっては怖い存在だったりする

そう言った人にはあったことないけれど

 

なんでたいていの世界に、崇められている存在、神がいるんだろ

 

神はいなくても、人間は生きていけるし、実際に神に出会って助けられた人なんていない

 

そこまでして、心の支えというのは必要なのだろうか

 

いくらなんでも、ここ最近の2000年間、聖書なるものは流行りすぎではないかと思う

 

神様なんて、僕の考えた最強ヒーロー的な存在なのかなってふと思った。

 

小さい頃、誰だって考えたことあると思うし

誰でも思いつくからこそ、世界中に転がっているのかな

 

そんな誰でも思いつくような存在によくあ祈ることができるのだろうか

 

 

 

自分は聖書を少し読んで、生きるヒント、考えを与えてくれるような、印象を受けた

 

だけれども、戦争を起こすまで、こじれるほど大きなものなのかとも思う

 

宗教を、非難してるわけでは全くなくて

なんで宗教だけが、ここまで長い間ずっと世界中の人たちに影響を与え続けているのか。

世界地図で、宗教ごとに色分けされるまでのものになっているのか。

単純に疑問に思ったし、惹きつけるもの、きっと素晴らしいものが存在しているのだろうと思った