はんなりブログ

何者でもない人間の日常。気軽にコメントください。

多能性

 

幼少期の過ごし方はとても大事だと思う

 

自分はゲームをずっとしてた、だからゲームは基本強い

 

子供はとても柔らかくて、細胞でいうとiPS細胞みたいな、何にでもなれる可能性を秘めている

 

赤ちゃんは初めて見るものを一瞬で認識してみる能力があるらしい

それがたとえ同じようなものが真横で並んでいたとしても

 

 

それでいて、ある種の才能みたいなのも隠してもっている

ファイターの魔力を伸ばしても効果がないみたいな感じで、得意な能力がそれぞれ存在する

 

 

その才能を見出して、小さい頃から伸ばすのが

プロになるには大切な要素の1つだったりするのかな

スポーツ一家はみたいなのは、こういうシステムがしっかりしてるのかなぁって

 

 

自分はアートなセンスがなくて、絵も下手、歌も下手

だけど小さい頃はそんなこと思ったことなかった

 

アートな才能がない自分はアートな才能を持っている人に魅かれる

 

読書感想文は大嫌いだったのに、日課として文字を打っている

 

大人になって、じぶんが凝り固まってしまったように感じるけれど、それは伸ばすべきステータスがより分かりやすくなってきたってことなのかな

 

 

 

今をおろそかに

 

そういえば、あれだけ終わらないと思っていたテストが終わって10日経った

 

そういえば、広島にウキウキ5泊した日々も終わって、帰ってきていた

 

そういえば待ち遠しにしてた高校のクラスメイトと飲みももう終わってしまった

 

面倒なことも、楽しいことも、あっという間に終わってしまう

 

面倒なことをする時、楽しいことを考えて、その瞬間をおろそかにしてる

 

楽しいことも、またいつでも出来ると思ってしまうとおろそかにしてしまう

 

結局なんとなく今を生きてない感じがする

 

今自分がたまたま京都にすんでいて、色々なところ出身の人たちと、当たり前のように会ってる

 

でも、それももうすぐすればもう散り散りになってしまうことはわかっているけど

 

想像力が足りないし、今のままが当たり前やと思ってる

 

きっとどの時期も、日常ってのは長い目でみたら、ずっと続くものではないから、非日常なんだろうなって

 

そう思った

 

高校の時に、同じ部屋にいた40人は今全員が全員バラバラで、それぞれの世界を広かれ狭かれもってる

 

違う道に行ったのに、少し戻って待ち合わせして寄り道して、また出発する元気をもらえるって素敵だと思ったり、思わなかったりして

 

温泉

 

温泉はいい

 

地元の友達に駅に迎えにきてもらった

 

何も言わずに勝手に連れていかれた

 

温泉はコミュニケーションの場としてはもってこい

 

食事と並ぶくらい大きなそれがあることは、単純に嬉しい

 

なぜか地元に帰った時と京都の暮らしとはまるで違う

 

京都はのどかで、ザ・ニホンみたいな感じと言うか、日本文化の中心と言える

 

だけれども、のどかに大切なのは寺とか景色なんかじゃないのかなって

 

やっぱり生まれ育ったところの方が、なんとなくいい

 

なんとなく時の流れがいい

 

地元でしか、知られてないご当地タレントのCMをみて、下宿先ですでにみているネプリーグを週遅れでみる

 

最低限度のものは、よほど田舎オブ田舎でない限りどこでも揃っている

 

都会は細かい移動は自分みたいな大学生には効かない

 

田舎は自転車でどこに行ってもいいし

車もどこに止めても文句は言われない

 

そんな良さがあることを知った

 

時代の流れには、取り残されていることは間違いない

 

こんなにグローバル化がすすんでいるのに

何1つグローバルになっていない家族と話しながら

 

将来への揺らぎを感じた

地元

 

親に何も言わずに、帰省しようとした。

突然帰ろうとしていることを姉に伝えたら

一人暮らししている姉の家に、両親が訪れていることを知った

そして母が食中毒になってることを知った

 

自分が何も言わず帰ろうとしてたから、すぐに実家に戻れない両親が怒らせてしまった

 

悪いことをしたな

 

人間関係において突然と言うものは良くない

 

やっぱり前もって言うことが1番大事だ

 

突然は自分勝手だと言うことを知った

 

これから帰省して、遊ぶだけ遊んで、親に迷惑かける

 

めったに会える機会なんかないんだから

 

を武器にして、夜遅くに帰る

 

自分が地元じゃないところで就職したら

親とあと何日一緒に過ごすことができるのか

 

別に、仲がひときわいいわけでもない

 

時代に取り残された両親はLINEをしないから

連絡手段はメールと電話

 

だから、普段ほとんど連絡はとらない

実家にいたらいたで、めちゃめちゃ喧嘩をするから、地元を離れたくて、地元の大学を受験しなかった

 

それなのに、なんとなく親と過ごしたいと思ってしまうのは

多分、なんとなーく頭で考えて

自分はあまりにたくさんのものを、無償でもらいすぎている

と感じずにはいられない

 

その恩返しを少しでもするためだけに、地元就職希望中

don't care about me

 

結構な程度で友達が少ない

結構な程度で自分がいない

 

どういうことかというと、周りからの影響をつよく受けてしまうってこと

 

どういうことかというと、最近はアメリカンな人間になっていっているということ

 

キング・オブ・ポップと呼ばれた

知らない人はいないであろうマイケルジャクソンに今さらながらどハマりしている

 

スリラー、ビートイットくらいしか知らなかったけれど

他の曲をきいてみると、どこかできいたことのある曲もたくさんあった

 

改めてマイケルジャクソンのすごさをしった

 

特に思ったことは、リズムやダンスが最高なのはもちろんのこと

結構メッセージ性があるんだなってことだった

 

スターゆえの苦しみが伝わってきた

 

神さまに近いような、ただのアーティストではない感じがビシビシ伝わってきて

 

その反面、アーティストであろうとするような

 

とにかく、言いたいことは

マイケルジャクソンのダンスとメロディが大好きになってしまったということ

 

スニーカー大図鑑

 

スニーカーが割と好きな方で

最近、スニーカー大図鑑なるものをかった

発刊は20年前で、その当時のスニーカー好きにとってはバイブルであったであろう

 

そして、今この瞬間それを新鮮な、当時と同じような熱量で読んでいるのは自分くらいしかいないであろう

 

今自分がはいているスニーカーや、街でよく見かけるスニーカーは、20年前と顔ぶれはほぼ変わっていない、当時ですらレトロと呼ばれた靴だって今でも現役バリバリだったりする

 

今年はオールスター100周年

前も昔も変わらずに、今でも多くの人に履かれている

 

近代的なように思えるリーボックのポンプフューリーも20年前にしっかり存在した

 

もちろん新しいスニーカーも続々と生み出されてはいるけれど、昔のスニーカーも現在でも色あせることなく世界も歩き続けている

 

スタンスミスも、近年に再デビューした一足だ

 

スニーカー大図鑑をひらいて1番衝撃だったのがそこに掲載されていたナイキ エアハラチの姿だった

 

エアハラチは現在も靴屋さんに普通に置いている、ちょっと変わったデザインの、ヒールの部分がいかしている。

 

スニーカー大図鑑にあった、エアハラチはぜんぜん今のハラチを基準にみると、全くハラチしていないのである

 

ヒールのパーツが代名詞なのに、それが無い

それはもうハラチではないと言っても過言では無いのに、しっかりエアハラチと表記があった

 

名前は同じなのに、どうしてここまで、変化してしまったのか、どういう経緯をたどったのか、気になって仕方がない

 

スニーカーひとつ取っても、変わらない良さを感じたり、

進化を楽しんだりと、奥が深い

 

変わらないもの、変わるもの

どっちも、楽しい。

 

 

夢のクライマックス

 

どうして夢は、1番いいところの寸前で終わってしまうのだろう。

 

これから、どうなっていくのか気になる

色んな内容があるけれど、だいたい現実の世界に良いタイミングで引き戻されてしまう

 

なんでだろうとふと思った

 

多分それは、自分の想像力が足りないなのかって思ったりもした

1番良いところを、1番良いままで、再現できる想像力が乏しくて、再現できないまま目が覚めてしまう

 

無意識の中ではこれが限界のところというラインがそこなのかもしれない

 

自分の想像力の無さに気がつかずに、

あぁ、あと少し寝らことができていたら、起こされなかったら、とだけを考えてしまっていた

 

夢がそんな風に終わってしまう理由なんて

どれが正しいかわからない

1番いいところで終わってしまうのは、もしかしたら自分だけかもしれない

 

最近見る夢は、ちょっと現実味が強くて、ファンタジー要素が弱ってきている感がある

 

いかんいかん。

どんどんつまらない、型にはまった人間になってしまっていく

というかなってしまっている

 

どこかファンタジーな世界に触れないと

そうだ

ドラクエ

ドラクエ11

 

夏休み、無駄にはしないぞ