困ったときはお互い様
自分一人ではどうしようもなくなったとき誰かに助けを求める。
誰かが助けてくれる。
困ったときはお互い様だね。助け合いの精神はなんて素晴らしいんだ。
困ったときはお互い様
でも本当にお互いが困っていたときには、その意味は結構変わって来るんじゃないのかってふと思った。
自分と相手が空腹で仕方ないときに、相手のことを思って自分の分の食料をあげるのか。
自分が疲れ果てて仕方ないとき、電車で席を譲るのか。
多分、自分はしない。
本当に困ったとき、多分困ったことの押し付け合いになる。
そういった意味の困ったときはお互い様が少なからず存在すると思う。
親しき仲にも礼儀あり
むしろ親しき仲ほど礼儀が大事になって来ると思う。
若者特有の、逆に、とか、あえて、俺は人と違うみたいな?薄ら寒いスタンスからものを言うことは自覚している。
でも今は若者だと思うからとりあえず指を動かしてみる。
たとえば、アルバイトでクレームや失礼なことを言われても、最初こそ、滅入るかもしれないけれど1日もすれば客の顔すら忘れてしまう。
そんなに大したことはないんだ。
ありがたいことに、自分はよく友達から連絡をもらう。いろいろな連絡がある。
でも、中には、困ってるを装った、利用もあるような気がする。
あれ?うまく使われてないか?
俺は何もしてもらってないのに、あいつにしてあげてることばっかりだな。
自分の小ささが嫌いになって来る。
終電逃したから宿泊させて、とバイト終わりの体を癒すことなく泊める。
この前の講義のノートメモってる?みせて。
パシャ。
自分の90分間をほんの10秒に圧縮される。
こう言う人ほど、自分は友達が多い。効率的で賢いやり方だ。
と思ってるに、違いない。
こんなやり方、自分は嫌いだ。
そりゃ自分だって完璧な人間じゃないさ、友達に頼ったりすることもある。
でも、その表面的な、物質的なものだけをやりとりをするのはどうなんだろう。
友達だからこそ迷惑かけたくない。
友達だからこそ利用するような真似はしたくない。
この人たちは自分が困ったとき、本当に助けてくれるのだろうか。
いや、困ったときには顔すら思い浮かばないかな。
そんなことを思ったけれど、結局友達は本当に良いもんだ。
たわいもない会話、損得感情抜きの会話。
何も考えなくても言葉がどんどん出て来るような感覚。
数は多くなくて良い。