はんなりブログ

何者でもない人間の日常。気軽にコメントください。

帰る変える

 

 

ライン天気には京都の天気を教えてもらうようにしてたし

Amazonとかも全部京都の住所にしてた

 

それを諸々変えるのは生活に対して必須だけど

四年間使った住所は忘れたくないな

もう不要なんだけどな

 

いつかまた京都に帰る時には

マップを調べずに帰れるようでありたいな

流石に母校は忘れないだろうけどさ

どこまで覚えていてさ

どこまで忘れてしまうんだろうな

 

その境界線はどこだろう

案外覚えているものなのかな

高校のクラスの人たちも割と覚えてるし

あーでも

思い出話とかはもうほとんど覚えてないな

あんな話あったねって言う話をしても

案外ピンと来ないことが多いのは

 

自分が少し薄情なのかな?と思ったりもする

 

それでも

ライン天気の設定を変えることすら少し抵抗があるくらいには

後ろ髪を引かれまくってるのは

 

ただの面倒くさがりなんだろうかな

 

変わる変わらない

 

 

 

ツイッターかなんかでみたけど

変わらないためにも

変わり続けないといけないって

なんかちょっとしっくりきたような来ないような

 

人間関係とかも

なかなかずっと一緒に過ごすことって難しいよな

こんなにも楽しくて素敵な日々なのに

誰かが決めた節目に流されて

離れ離れになっていくこの不思議な力を何度恨んだことだろう

そんな恨み節を言いたいわけじゃなくてさ

 

それでも、変わらない関係であるためにはさ

どこか新しい場所で自分の居場所を作ってなきゃいけない気がするんだよな

 

友達のことをたまたま電車で乗り合わせた人らで

時が来たらまた別の電車に乗って違う方向に進んでいくんだとは思うけど

 

電車に乗ることをやめちゃったら

友人とは少し関係が変わっちゃうのかな?

 

みんなと進んでいくペースとずれちゃったら

相対的に自分のとの関係が変わってしまうもんね

 

だけど、そんな大したことじゃさ

友情なんて崩れないとも思うんだ

 

変わらないためには変わり続けないといけない

 

って

なんかしっくりくるようなこないような

 

人間関係について考えたけど

他にも、生活とか勉学とか、色々あるんだろうと思うけどなぁ

 

自分自身、なにを考えているかよくわかってないなら

読んでくれた方にはあんまり伝わってないんだろうな

自分本位ですみません

 

片道切符

 

 

2009年WBC決勝でイチロータイムリーヒットを打って日本を優勝に導いた日に小学校を卒業して(多分そうだった記憶がある)

 

2019年イチローが引退をした日に大学を卒業した

 

この10年間お疲れ様でしたとしか言いようがない

小さい頃は毎日のようにイチローが今日は何本打ったとかのニュースが流れていた

これは日常に組み込まれた、天気予報のような報道だったな

 

すごいことを日常的にし続けていたんだなぁと思う

 

10年もあればいろんな人と出会って別れて

出会って別れてを繰り返す

 

たくさんのことがあったなと思う

そして今日もまた別れがあった

大学四年間を共に過ごした人と離れ離れになっちゃった

 

みんなそれぞれの場所に移った

同じ空の下のどこかで、戦っているみんなのことを想像すると

自分も自分の場所で思いっきり頑張れるような気がする

 

気合を入れて

本気を出して

だけど肩の力を抜いて、笑顔で頑張れる

 

若いうちに挑戦することを恐れていてはだめ

命を燃やすよ

無数にある人間の中から

出会った数運命を感じながら

その人たちに背中を押してもらうんだ

ゲーーム

 

 

Googleがゲーム市場に参入するみたいだ

さっそくソニー任天堂の株価が下がっているらしい

 

ゲーム好きだけど機械には大変疎くて

技術的なものに対して詳しいことはわかんないけど

 

ゲームがどんと進化する可能性を秘めているから、大変楽しみではある

 

以前までは、ハードを生み出した企業が

ロックインすることができて

市場を支配してきた

 

最近では

スマホがプラットフォームに移行しては側面もあるけどね

 

今後

Googleが巨大なプラットフォームの持ち主になろうとしているのは今後どういう影響を及ぼすんだろうな

 

使えるデバイスが限定されなくなったら

ゲームの壁がなくなって開発がとんでもなく進んでしまう可能性があるな

その分参入障壁が低くなって、質の低いゲームもたくさん出てくるだろうけどね

 

ゲームの歴史の中では

そういった質の低いゲームたちが

ゲーム市場にダメージを与えた事実はあるけれど

それは、購入してからではないとゲームの質が見定められなかったためで

 

今はどのゲームが面白いかどうかは

ネットのレビューとかで一瞬で判断できるしなぁ

 

そういった色々なことを考えて気になるのが

ゲームの販売方法かな?

どのタイミングで消費者はお金をはらうのか、

一回きりの課金なのか、継続的にする必要があるのか。

 

それも全部自由に決められるのかな?

とりあえず

色々気になるしやってみたい

 

任天堂がゲーム界での存在感は薄くなってるけど

むしろ娯楽産業であるゲームのトップがずっと同じ企業って言う方が不自然な出来事だと思う

 

イノベーションを1人で起こし続けるとは思えない

 

けど

任天堂はIPのチカラがものすごいから

ゲームがある限り、かなり安泰だとは思うけどな

Googleが覇者になったところで

これからマリオやポケモンができなくなるとは思えない

さらば

 

 

部屋を片付けて 

あとは人間だけが出るだけとなった

部屋というよりは空っぽの箱になったその空間の窓を全開にしてみた

 

この前まで寒かったのにな

と思いながら空気を思い切り吸った

 

四年前自分が来た時と

空気になりつつあるなぁと

匂いとか、風の強さとか、空の色とか五感全体で感じ取る

全体は嘘をついた

味覚は使ってないし、正直音で感じる季節はベランダからはなかった

 

はじめての一人暮らし

高校の時の友達も一人もいない

全てを一人でスタートさせる日々が始まった時

 

それまでの生活とは180度違うことに戸惑いはありつつも、人生の自由度が上がったような高揚感もかすかにあった

 

それはまるで、スーパーファミコンから

プレーステーションに移行したゲーム界の転機

のようなものだっただろう

2Dから3DCGの技術に変化した

つまり次元が変わったような感覚があの時は少しあったな

 

とにかく

だれも友達がいない中で

たった一人で進学するのは

自分にとっては苦しかった反面、カッコ良さを感じてた

というより心細すぎて

そう思わないとやっていけなかったんだろうな

 

一人でも知り合いがいたら、その人にくっつきまくってただろうし

 

新生活、一人で家にいるのはとても寂しくて

自分が持てる人脈全てを使って

電話をかけていたよな

 

昼間はどうしようもないから

カナブーンのシルエットをかけてたのだけはなぜか鮮明に覚えている

 

まぁそんな一変した非日常が

いつのまにか日常になってて

その間にも、色々なことがあった

沢山の失敗をしたし、沢山の思い出も出来た

 

また新しい部屋にいってそこでの思い出をまた作るんだろうけど

 

今だけは余韻に浸らせてくれ

 

質素

 

 

京都アパート最後の晩餐は

コンビニのパスタとチキン

荷造りしたダンボールを机がわりにして食べる

 

数え切れないほどいったコンビニの店員さんは

いつもと変わらない接客をしてくれる

 

息のあったようにポイントカードを差し出して

ピッとしたあと流れるように受け取る

 

めちゃめちゃ普通な日常

どこの誰にでもある日常だからこそ

終わるとなると

自分にとっては結構キツイ

 

一つ一つに区切りをつけてゆくこと

どーしようもなく

叫びたくなったり、泣きたくなったりするけど

 

まだ我慢できている

 

他人と自分は違うのはわかるけど

どうにもこうにも

この時期(環境がぐっと変わる前後の期間)

にそわそわしてしない人の気がしれないなぁ

 

だんだんとそういう変化に慣れてきてるのかな?

それともちょっとずつ感受性が鈍って来てるのかな?

 

とりあえず思ったことを書き殴ることで

落ち着いてる部分はあると思うし

しばらくはこういう風な感じの投稿が続くと思うな

ぐっばい

 

 

もうこの家に住むことは

一生無い

って思った瞬間に途端に悲しくなる

 

片付けしてて必死だったけどふとそう思うと

とても切なくなるなー

 

一生ない

なんて思った瞬間にこういう気持ちが湧き上がってきたから

自分がこの時期になぜ弱いかを

少しだけ理解できたような気がする

 

全力疾走しなくても

時の流れの疾走感はハンパなかったな

 

四年間って長いようで短いようで

長いようで短いようで

 

この繰り返しをずっとさまよってる

あと四年経ったら27になる

もうあと四年経ったら31になる

 

だからなんだ