はんなりブログ

何者でもない人間の日常。気軽にコメントください。

キンキン

今週のお題「好きなアイス」

 

悩ましい。

1つ選ぶとしたら何を選ぶとするならば。

悩ましい。

 

地方によって呼び名様々だけれど、どの地方にも必ずあるあの、ポッキンアイス。

小さい頃よく食べていて、何本ひざで折っていただろう。

 

今はもう、食べることはない。

 

でも、人生で一番食べたアイスは多分それだ。

 

妙に懐かしくなるし、妙に夏を思い出す。

歳が1桁だった頃の記憶。

月から金までが果てしなく長かった頃。

たった、1時間遊ぶために、ランドセルを玄関に投げ入れて、真っ先に家を出て行ったあの日。

 

夕焼けが夕焼けのまま止まってほしいと、心から思っていた。

 

なぜか切ない気持ちになってくる。

 

あぁ、好きなアイスの話だったなぁ。

グレープ味の甘い、半分くらい食べた、少し溶けてシャーベット状になったポッキンアイスの味を焦ったように思い出す。

 

ポケモンのシールが貼ってある冷蔵庫。

冷凍室に当たり前のようにあった、アイスは今はもうない。

 

溶けることに気を遣い、急いで帰ってきてくれてた。

 

アイスなんか食べなくても生きていける。

 

元々アイスが要らなかったのか、それともアイスが要らなくなったのかはよくわからない。

 

それでも、冷凍室にいつだってアイスがあった。

 

当たり前のようなものに、心がこもっているということに、どうしたら気づけるのだろうか。

 

 

 

 

 

バイト終わりの心

 

 

もうすぐ今日が終わる

やり残したことはないかい

親友と語り合ったかい

燃えるような会話したかい

一生忘れないような出来事に出会えたかい

掛け替えのない時間を胸に刻み込んだかい

 

今日、人生で初めてしたバイトを2年と2ヶ月働いてやめた。

憂鬱な時が多かったし、本当にしんどくてやめたい時期もあった。

オーダーを取って、怒られることがあったりと、理不尽な怒られ方をしたことも多くあった。

それでも、2年間一筋でやってきたバイトをやめるとなると少し寂しい。

 

最初の頃は、地下にあるお店へと続く階段を下りるのに一息つかないと、入らなかった。

どんなにしょうもなくて、当たり前のことでもメモを取って、頑張って覚えていた。

 

それがいつの間にか、吸い込まれるように店の中に入っていき、夕方なのに、おはようございます、と自然に言えるようになって。

どこに何があるかを聞かれる立場へと変わっていた。

 

そうやって自分の居場所を作っていった。

 

終わった時のことを想像するのは難しい。

そして、いざ終わってみると、辛いことなんか忘れてしまって、なにかどうしようもない寂しさにみまわれる。

そんな経験は何度かしてきた。

 

どんなに嫌だったことだって、終わってしまえば、いい思い出になってしまっているのはなんでだろう。

 

そして、すべてのものはいつか必ずおわってしまうのに、永遠に続くと思い込んで、おわってしまえばいいのにと、願ってしまうのはなんでだろう。

 

 

毎回こんなことを考えてしまうのに、自分は学習能力がないとつくづく実感する。

 

おわってから、もっと頑張っておけばよかった、今なら上手くやれる気がする、戻りたいって、無い物ねだりをすることはあると思う。

 

多分それは、この先どうなっていくか見えないから、確実な出来事のだった過去に目が行きがちになってしまうのかなぁと思ったりもする。

 

 

とくに、自分は今ものすごくふわふわした先の見えないものに直面している。

生活の軸がなくなってしまうけれど、それがない自分はどんな風なってしまうのだろう。

 

終わりがあれば始まりが必ずある。

長い時を過ごした場所をお別れすることは、辛かった、嫌だったことがあったとしても、長い間過ごしたという事だけで、長い間過ごせたというだけで、ちょっと寂しかったりする。

 

ただ、それだけが言いたくて、

 

深夜3時の酔いの気分を書きたくて、

 

長文失礼いたしました。

 

 

job

 

ふとtwitterでみたツイート。

 

大学生はあたり前のように60連休があるけれど、社会人になったら2度と訪れないから、今を楽しんでください。

 

ものすごいリツイートされてたけど、2度と訪れないって本当にそうだろうか。

 

60連休したかったら、仕事をやめればいいと思う。社会人を知らないから簡単に言う。

世間知らずだから、簡単に言う。

知ってしまったら、この感じを忘れてしまうから簡単に言っておく。

 

仕事はなんだか、いやいやさせられているもので、生きていくために仕方ないもので、宝くじが当たったらやめてしまいたいもの、みたいなイメージがある。

 

一方で、将来AIが発達してしまうと、ロボットに仕事を奪われてしまう。とか。

ロボットに取られない仕事は何なのかを、みんな考えている。

 

仕事が嫌いなのに、仕事がとられることを恐れている。

 

ロボットができる仕事なら、全部丸投げしてしまったらいいのだ。

 

ロボットが生み出した利潤はどこに行くのかは、また別の問題として、

パーマンに出てくるコピーロボットのように、自分の代わりに宿題をしてもらう一方で、自分は友達を遊び惚けるみたいな生活を夢見てるはずなのに、なんで仕事を守ろうとするのか。

 

働くことが当たり前になっている自分と自分の世代。

やっぱり人生そのものが仕事だと言ってもいいくらいに、仕事は大きいものだと思う。

 

でも、仕事がないのが当然の世界になったら、仕事をする人が少ない世界になったら、みんな毎日が休みの生活を堪能できるだろう。

 

想像力に乏しいから、自分が将来に揺らいでいるから、しょうもないことばっかり考えている。

 

 

かたちにする

 

 

Done is better than perfect

完璧よりまず終わらせろ

 

マークザッカーバーグが言ったかどうかは、わからないらしいけど、Facebookの社訓みたいになっているらしい。

 

自分にはいい言葉だとおもった。

完璧を目指すことが多いけれど、完璧を目指しても、あまり効率が良くないような気がする。

 

例えば、部屋の掃除とか、勉強とか。

完璧にこなそうとしたら、めちゃめちゃ時間がかかるし、無理かもしれない。

そこで、とりあえずできる範囲で進めていく。

 

そうすれば大まかに8割くらいはぽんぽんと終わっていくような気がする。

後の2割を極めようとすると、8割と同じ時間かそれ以上の時間がかかってしまうような、イメージを持っている。

 

生産性が逓減していく。

経済学的にも、労働力や資金を費やせば費やすほどいいと言うわけではない。

簡単に言うとバランスが大切だってことを経済学は教えてくれる。

 

もしかしたら、完璧っていうのはアキレスと亀のような。

追いつこうとしても、追いつかないものなのかもしれない。

 

完璧が大事か、終わらせることが大事か。

それは各々が決めることだけれども、完璧を目指しすぎて、何もできなくなってしまうのは、もったいないな。

 

 

 

本当のメイン

 

道草が主食になってしまう。

目指していた、ゴールよりも道中そのものに楽しみを感じる。

道のり主義なのは、うまれつきだから仕方ない。

修学旅行でも、バスの中の雑談やレクが一番好きな時間だった。

中学の時は、移動時間を把握して、3時間の電車移動には心を躍らせていたのをよく覚えている。

 

 

友達と話してワイワイして、道のりを楽しんでいた思い出の方が強い。

 

だから、今でもドライブが大好きだし、旅行でどこに行くかなんて、重要だと考えたことなんかない。

むしろ、目的地に着いてしまったら、それを楽しまないといけないと思ってしまって、そっちに友達の注意が向いてしまう。

観光そのもの自体は、むしろ自分の中では付加価値てきな存在になっちゃってる。

 

だったら、ずっと家で話しておけば良いじゃない。

それが一番楽しいはずだ。

 

でも、ここにジレンマが出てきてしまう。

 

やっぱり道のり主義だから。

道中の楽しみをゴールにしてしまったら、それはもう道中じゃ無くなってしまう。

 

やっぱりゴールを設定しておかないと、道のりの楽しさも、わからないもんなんだ。

 

多分目標を掲げるところの意義みたいなのはここら辺にあるのかなぁと考えてておもった。

 

ストイックに道のり主義。

 

 

lazy

 

自分が暇ということがイヤでしかたなかった。

時間がたくさんあって、なんでもできるのに

何もしない自分は空っぽな人間だって。

自分は無個性だって思っていた。

 

過去形で書いたけれど、今も根本の部分は何1つ変わっていない。

 

みんないつ、したいことを見つけたの?

みんななんで、それを頑張ろうと思ったの?

 

それが不思議。

 

今まで、与えられたことしかしてこなかったし、それでいて、誰からも文句を言われたことなかったし、それでよかった。

 

じぶんのしたいことを見つける瞬間も時間も無いままここまでいきてきた。

 

社会や他人のせいにするつもりは1つもないけれど、サボり放題なのに、がむしゃらに生きて行くモチベーションはいったいどこを探せばあるんだろう。

 

みんないつか、自分がしたいことはこれじゃない。

もっとできることがあるはずだって。思ったりするのかな。

 

大学に入って、じぶんと向き合う時間がすごく多くなった。

今まで、考えなかったようなことをゆっくり考える。そして、飲む。

それが一番楽しいかもしれない。

本当はなにもしたくない。

なにもしない時間が1番好きなんだ。

 

誰の役にも立たないけれど、それが好きなんだから仕方がない。

 

 

そういう風に考えるようになった。

 

人の役に立つことで、人は稼ぐことができる、生きることができる。

 

じぶんの好きなことして生きて行くって言うのは、とてもワガママで、運のいいことだとおもった。

 

 

 

 

芯のこだわり

 

テストが近いと言うのに、今学期は過去最大級にサボりボリボリだ。

 

高校の時は2ヶ月半くらいのペースで、シャーペンの芯を使い切っていたのかな。

大学に入ってやっと一個使い切った。

2年半経っていた。

 

そんなふうに、麺棒で小麦粉をうすくのばしたような毎日。

 

勉強に対する、言い訳?自己暗示?をするようになって来た。

 

自分にとってなにが必要か、自分がなにを学ぶべきかを自分で選ぼうとするようになった。

 

まだ、そんな選べる立場にないのかもしれないけれど、やる気が出ないから仕方ない。

 

2Bの芯を使うというのが、ずっと前からのこだわりだった。

だけど、コンビニにはHBしか置いてなかった。

 

仕方なくHBを買った。

 

なんで、前はHBを許せなかったのか、さらに言えば少しお高いやつを買っていたのか。

 

そんなこだわりは必要ないとおもったけれど、筆箱の中身にこだわっていたのは、気づいてなかったけれど、勉強にこだわっていたからだったのかと思った。

 

こだわりは邪魔になるけど、大切なものだということを実感した。

 

マクロ経済が頭の中で暴れている。

誰にも助けを求めないできないこの感じが辛い。

早く夏休みになって遊びたい。ゆっくりしたい。

勉強のことを忘れたい。

そしてまた、勉強のことを思い出す時期になって苦しみたいと思う。