はんなりブログ

何者でもない人間の日常。気軽にコメントください。

テスト勉強からの逃避

 

最近はなんか、心に溜まってたマグマのようなものを吐き出してしまって、ふつふつと湧き出るようなうっぷんをじぶんから探すようになってきた。

 

じぶんの心に溜まってたものは、とてもドロドロだったと思ってたのに、吐き出してしまうとあんがいとかわいいものじゃないかと思ってきた。

 

ずっと、心に秘めていたものは、どんどん成長していって、無視できないものになってしまう。それをだしてしまわないと、新しい何かってのは舞い込んでこないものなのかなとか思ったりする。

 

たとえ話っていうのはわかりやすくするためにあるけれども、説得力に欠けるものだと思っていた。

それは、それで。これは、これだよね。

何も関係ないよね。ってな感じで。

 

よく人生を登山に例えたりして。

辛く厳しいことがあるけれど、頂上に行くためには仕方ない。人生を山あり谷あり理論。

 

登山と人生は全く別物だから、どうも納得できない。

 

信じたい人が信じればいいんだと思った。

たとえ話なんかに、説得力なんかなくて、それを信じるか信じないか。

救われるか救われないかが大事なんだと思った。

 

そうやって、都合よく生きて行くことに、幸せかどうかかかってくるのかなぁ。

 

 

 

ゾゾゾゾゾ

 

ゾゾタウンは、よろしければサイズお出ししますアレルギー持ちの自分にとっては、オアシスだ。

そのおかげで自分財布の中はカラカラ砂漠になっている。

これが言いたいだけだ。

 

なぜか、お金がたまらない貯金が減っていくなーと思っていたらそりゃそうだ。

1年の頃はそんなに買っていなかった服を買うことが多くなった。

ゾゾタウンのせいだ。

働かないと、冬を越せる気がしない。

 

思い立った時に働くことのできる、とても都合の良い仕事はないものかと思ったりする。

先に予定、つまりバイトが入ってると、その前の時間を適当に過ごしてしまう。

スイッチのオンオフがド下手だ。

 

バイト前に遊んだり、買い物に行ったり、勉強したりするのが、それに対して集中することが難しい。

 

あーあースイッチ切り替えるのが下手下手。

 

そういえば、スニーカーを買った。

革靴を持ってないけれど、またまたスニーカーを買った。

新しいスニーカーを履いて、一歩踏み出そう。

 

80点

 

ネットで世界中とつながれる時代。

とても良き時代。

ネットで自分を発信できる時代。

 

自分は器用貧乏だ。

とてつもなく苦手なことはないけれど、得意なこともこれと言ってない。

受験においては強いタイプかもしれないけれど

これは、案外深刻な問題なのではと思って来た。

 

もし、何か困ったことがあった時、頼むとしたらその道のプロに頼む。

全教科80点の人より、0点ばかりでも1つの教科で120点を叩き出す人間はその教科においては頼り甲斐がある存在だ。

 

以前は周りには120点の人なんてそうそう居なかったけど、いまの時代ネットで探せばいくらでも出てくる。つまり、オール80点の人は何をやらせてもその上がいるから、不要になってくる。スポーツ界では、ユーティリティプレイヤーが重宝されるかもしれないけれど、やっぱりその道一筋は安心する。

 

最近CMでみる、得意を売り買いできるアプリ。

もし自分が、得意を売るとしたら何を売ればいいのだろう。

何も売るものがない。自分が誰にも負けない何かなんて持ってるわけがなかった。

そこまで熱中するものに出会ったことがない。

 

じゃあ、中途半端は何を武器に戦えばいいのだろうか。

 

それは、出来ることをどれだけ組み合わせるかなのかなぁ。

 

あれもできて、これもできる。

どちらもそれぞれに上はいるけれど、両方できる人はいない。

そうやって、頭を使って自分だけの出来ることを増やして生きたい。

そして、必要とされるような人間になりたいと思った。

 

 

野球観戦について

 

今年になってプロ野球を見ることが多くなった。

順位表とその日の結果はほとんど毎日見て見ている。

 

なにか、マンネリ化した毎日の中に、ちょっとしたファイトや、変動があることは、楽しみになってくる。

野球が、根強い人気を誇るのには、月曜日を除いて週6でやっていることも大きいのではないかと思った。

 

生きている中で、身の回りで変化や刺激なんかそんなにポンポン起きるものでもないし、起きたら起きたで疲れるもんだと思う。

 

だからそのちょっとした変化やエキサイトを楽しむために自分は野球結果を見るようになった。

 

芸能人のスキャンダルなんか、自分にとってはすごくどうでもいいことなのに、それに関心を向けている人がいる。

それはやっぱりどこか自分の中にある閉塞感のはけ口として、必要とする人がいるって言うことなんだろうな。

 

猫について

 

猫はかわいい。

最近特にSNSで猫を見かけることが多い。

大学生になってから2年経つけど、それを最近という言葉でぎゅっとしちゃうところに年をとったなぁという実感がある。

 

それはさておき猫。

ほんの1分くらい、見ず知らずの猫に時間を奪われることは日常茶飯事だ。

じぶんは猫を飼ったことがなくて、猫に遊んでもらうチャンスと言ったら、野良猫に必死にラブコールするしかった。

小学生のときは、回りに人もそんなにいなかったし、とにかく幼かったから、恥などこれっぽっちも感じなかった。

最近はもう、猫カフェに行って遊んでもらうくらいしか機会がない。

その猫カフェも年に一回行くくらいだから、本当に道で野良猫を見かける程度しか現実世界では会えない。

 

親が、生き物を飼うとお世話と別れが大変だっていつも言っていた。

だから飼わないことが当たり前だと思ってた。でも、もうそれは自己責任の範囲にあるとふと思った。

よし!絶対に就職したら猫を飼って、共に生きて行くぞ。

と、思いながらまた、かわいい猫のアカウントを見つけてはフォローを押す。

メロンパン

 

メロンパンって、メロンがこの世になかったら存在しなかったのかなとふと思った。

 

少なくともメロンっていう名前は付いてないというのはわかる。

 

でも、メロンパン自体はメロンを必要としないから作ろうと思えば作れるのは間違いない。

 

あみあみパンとか言う名前でデビューしてたのか。

もしかしたら、全く別の形をした甘いパンが世の中を席巻していたかもしれないのかなって。

 

自分がいなかったら、自分の代わりを誰かするのか。

 はたまた、自分と全く違うことをする人が出て来るのか。

 

1匹の蝶の羽ばたきが、地球の裏でトルネードを起こすみたいな。

バタフライエフェクトってやつはやっぱり存在するのかなって。

 

自分が夜中にカップラーメンを食べなかったら、日清がいつか潰れてしまうことなんて

ありえないことだけど、ありえなくないことなのかなって思ったりした。

 

 

 

祇園祭

 

山鉾巡行の前々日と前日に当たる宵々山と宵山はたぶん当日より人が多い。

そして何より、夜に四条通りが歩行者天国になることでお祭り感が最大に出てくる。

 

自分を含めた祇園祭ガチ勢じゃない人にとっては、たぶんその人混みやお祭り感を味わうために、街へ繰り出す。

 

京都感MAXの鉾をみながら、人口密度がパンパンになっているところをちょこちょこと歩く。

いったい何を楽しみに来てるんだろう。

いったいどう言う風に楽しんだら良いのだろう。

 

ただ、地方出身の自分にとっては祇園祭にいると言う事実だけで満足だし、これからの人生で京都にいるとは限らないからとりあえず行っとく。

と言うのが楽しみ方だった。

それでいいんだと思う。

 

本来の意味合いで言ったら、歩行者天国になる宵山は前夜祭にすぎず、本祭は山鉾巡行なのである。

 

でも、準備の方が、メインイベントより楽しいことはあるあるだと思う。

 

学祭、修学旅行の準備とか。

行く前のワクワク感の方が自分は好きだ。

 

たぶん、1番の楽しみが先に置かれていると言う安心感や期待感があるから、思いっきり楽しめるのかな考えた。

 

終わりが見えてしまうと、それが終わった時の切なさや寂しさを感じて、なんとなく悲しい気持ちになってしまう性格である。

 

そうだ、後夜祭があれば、本祭を本祭として楽しめるではないか!

 

あーあー楽しみは退屈さあってのものってなんだかなぁ。