寝違えて、右を見ることができなくなったとき。
インフルエンザにかかって、家から一歩も出ることができなくなったとき。
そういった、ある程度の不自由を感じたとき自分がどれだけ自由であったのかを痛感する。
そういうことがないと、日常のありふれたものに感謝できないんだ。
あの時こうしとけば…。こう言っておけば…。
伝えられなくなった瞬間にそれが伝えたいことだったと言うことを確信する。
この手の失敗はこれからも起こり続けるのだろうと思う。
当たり前のことに対して感謝することはなかなか出来ない。
実際は当たり前のことなんかなに1つなくて。いろんな、たらればの中をすり抜けた今を生きているはずだ。
他の事象を見ることができないがために、今この日常1つが全てになってしまう。
確率で言ったら1分の1。必然だ。
偶然なのか必然なのか、よくわからない毎日を大切に生きることは難しい。
あれだけ嫌だった高校生活も今となっては輝いて見えるのは、それがもう2度とやってこないからなんだ。
戻りたいと言う人も、実際戻ったところですぐ嫌になるのは、目に見えている。
じゃあ、どんな風に毎日を過ごしていけばいいのか。わからなくなってくる。
答えなんてないし、そもそも問題ですらないかもしれない。
無理やりに、無理やりに今を生きることが大切なのかなー。と。
とりあえず。