最近、糸井重里さんが言っていた。
隠れた名店は多くの人にとっては隠れてても、少なからずその周りの人にとっては隠れていなくて名店なのだ
的なことを言っていた。
じぶんは、じぶんのためだけに、感じた気持ちを残すために書いている。
いわば、自分にとっての自分のためだけの名店でいいんだ。
でもやっぱり、自分だけの料理は手を抜いてしまうし、人のために作ると気合が違う。
感想や評価や褒め言葉はいらない。
ただ、みられてると言うことだけでカップラーメンを作ってだらだらと食べるようなことはしなくなると思った。
Twitterは最初こそ好きなようにものをいってた。フォロワーが増えて、中途半端な友達が増えていくと、Twitterだけで自分を判断されることになって、自分の性格とかを考慮した受け取り方をされないのではないかと思うようになった。
そうなって来ると、好きなことを言えない、自分をよく見せようと言った障害みたいなのが出来ていた。
フォロワーが見たくなくても強制的に画面に表示されるのは苦手。
見たい人がわざわざ見にくるような。そう言ったお店を開こうと思う。
逆に考えれば、大々的に宣伝するべき良いものを生み出していないと言う、自信のなさから来たお店の出し方かもしれない。
今日も読んでくれてありがとう。
あなたの隠れた名店になっていれば幸いです。