はんなりブログ

何者でもない人間の日常。気軽にコメントください。

ジャスティス

 

 

正義に酔って

悪い人を叩くのはよくないけれども

 

それを叩くのもまた別の正義であるし

どこに身をおこうかな

というかどこかに身をおかないといけないのかな

どこかに身をおかないといけないのなら

身をおく煩わしさに負けてしまって

沈黙、無関心になってしまう

 

自分の人生

自分が主役なんだから

どうでもいいような議論には参加したくはないけれど

今ある人生や権利は

先人たちの努力の積み重ねであることは忘れてはならないらしい

 

意見が分かれるような議論には意味があるし

必ずしも正解があるわけではないのに

 

正解を決めつけてしまう人も少なからずいて

盲目的になっている人も多いような

 

クラピカの答えは沈黙が正解なのは納得いくけど

それに対するゴンの答えを出さなければいけない局面が来たらどうするのか

という問いに

 

クラピカも私も答えを出せずにいる

 

とにかく更新だけがしたくて中身がない

普段もデータや事実に基づいた

ことを書いてないけどね

ぱみゅ

 

政治的な発言をする芸能人やアーティストには

専門家っぽい人が黙っとけよ的なことをいう風景が散見されてなんだか悲しくなっていた

 

人に〇〇をいうな

なんてさすごい低レベルな発言だなって思う

 

誰が何を言おうが自由だという立場の私としては

そんな低レベルなただの悪口を言うことも

認めなくちゃならないのかと

自分の首を絞めてしまう

 

そんなモヤモヤしてたとき

ふと目から鱗な考え方がTwitterにあった

 

政治のことをわからないくせに口を出すななんていう人は

そのアーティストのことを知らないくせにわからないなんて判断するなって言われたらどうすんの

 

って言う内容のツイート

 

たしかに

間違いないな

 

 

政治家が傲慢さをもっているから

政治が優位に立っているようなイメージを持ってしまっていたけど

 

政治よりもずっとアートの方が理解しがたく難しい道だともふと思った

 

この

どこからともなく来てしまった優位性が

政治を政治たらしめてるものなのかな

 

強さがないと国民を信じさせて

納得させて、ときに裁けるような法律なんて運用出来ないしなぁ

 

でも、だからこそもう少しどっしりかまえていてほしいですね

 

 

自分らしさ

 

 

例えば空手道場がコロナで休みになって

生徒たちに空手を教えられなくなった師範代が

リモートで空手教室を開く

 

そうなると

空手道場を閉鎖せずに空手を教えられるけど

 

場所の制約がなくなったときに

地区の空手道場の師範代は

オリンピック選手の指導に勝てるのかはすごく疑問

 

高校の授業だってそう

zoomで英語の解答解説するのもいいけど

画面の中にはもっと面白くてわかりやすい先生が沢山いる

 

 

コロナにはそういう現場の人たちの仕事を消しとばしてしまう可能性があるし

 

コロナがなくたって

オンラインの恐ろしさを感じられる

 

詰まるところ

そんな現実が来るとは限らないけど

来た場合には

 

どのように生きるか

なにができるか

なにをしたいのかという

哲学的な質問に向き合わないといけない時期が来る

 

その質問にはめっぽう弱くて

死にたくなるくらいになるけどね

 

 

生きるためには他人にとって有益なことをして

対価を受け取らないといけないけど

 

自分らしさは他人にとって有益なものになるとは限らない

 

私にとっては

苦しくない創作活動と言ったらこうやって文章をつらつら書いていくことだ

 

自分らしさを追求する時間が必要だ

それが人のためにならなくて当然だ

自分が得意なことが人のためになったり、有益なことになる方が珍しいし煩わしいものなんじゃないかな

 

そのような結果

誰の役にも立たないということは

限りなく自由に近いと捉えられるんじゃないかな

 

なんてことを朝の車の中で思った

 

自粛

 

 

 

 

自粛生活で

ゼルダの伝説どうぶつの森をしているだけで

国の要請に従っていることになるから

世の中がおかしくなってしまったものだ

 

原油先物価格もマイナスになって

粗大ゴミ化なんて海賊と呼ばれた男が生きていたらなんて言うんだろうな

 

色々難しいことを考えたとしても

何かできることは少ないから

心置きなく土日をstay homeする

ゼルダの伝説どうぶつの森の2つのゲームはどちらとも「自由度」が桁違に高いのである

「自由度」とは正解が複数ある、それも桁違いの多さ

また、正解がないことだと思うんだけど

 

それを自分で作り出したり考えたりすることがとてつもなく楽しい

 

だけど自分のやり方が

ほんとに正しいのかどうか気になって攻略情報を調べたくてたまらない

だけど調べたら面白さが激減してしまう気がして調べたくないという葛藤に駆られている

 

知らない方がいいこともあるっていうことを

実感する

 

知ることで面白さが半減する

人間関係もそうかも知れないな

 

どこかつかみどころない、ミステリアスな感じが魅力的に映ったりね

 

長い間ずっといっしょにいると

その人のことがわかってくるけど

飽きられないようにちょっとずつ変わっていかないとな

 

 

 

 

久しぶりの

 

 

めちゃめちゃ久しぶりに更新してみようと思う

ワニが死んだ日だけども

 

私は普通に生きている

 

特に内容もないけど

幼稚園の頃に強いどんぐりごまには熱い指示が集まったし

綺麗な泥団子を作った時にはみんなに見せて回った

 

今となっては全くの無価値だけど

当時は本当に価値があった

 

なんで価値があるかというと

そのコミュニティの中ではそれが価値があったからとしか言えないかもな

 

お金だってそれ自体に価値はなくて

みんなが価値があると信じているから価値がある

 

そんな紙っぺらに意味があるのかという疑問にNOを出した人はいるだろうけど

そんな思想は

他人、多くの人にとって価値があるもの

という事実の前に無意味なものになってしまう

 

貝殻なんか昔は価値のあるものだと認識されていたけど

そんな時代もあったのかと小馬鹿にしたくなるけど

 

その時代にある価値観で生きる人間の驚くべき柔軟さに驚いてる

 

勉強の大切さを噛みしめながら生きていきたい

通信制限

 

通信制限がきて

インスタもツイッター

みるのにストレスがかかるようになってしまった

 

制限解除するために千円払うことは

今月はしない

その不自由さこそ

今は大変心地よい

 

1日限られたことしかできない中で

他人の生活を覗き見する時間はないはずだなぁ

なんてわかってはいけるけど

 

速度制限がなければそんなことは思わない

 

覗き見てるからこそ

いま制限がかかっていることを実感してるわけであって

 

とにもかくにも

めまぐるしくなってきた毎日

 

時間と流れがより一層加速していく

 

それがよいことかわるいことかは

わからないけども

 

1日を大切に生きていく

それしか出来ないな

 

通信制限とはいいことだ

 

くるま

 

車での通勤が10分という

とてもいい住職近接だ

 

たった10分でも音楽は絶対に流す

そこに流れる曲一つで

 

その車内だけは

その時代にタイムスリップすることができる

 

最新のiPhone

カセットテープで聞いてたであろうユーミンなんかを流したりして

 

その当時を映像で振り返ってみると

少し荒くて淡いそのなかにいるようだと

想像する

 

白黒の時代も、アナログ放送の時代も

現実の画質は今と変わらないなんてなんだか不思議だな

 

なんて

少し変なことを思ったりして

 

曲一つでその場の雰囲気を変えられる

音楽はすごいなって

すごく幼稚な感想で締めくくるにはもったいないな

 

明日は何聴いていこう