はんなりブログ

何者でもない人間の日常。気軽にコメントください。

かくこと

 

 

ひねくれてストレスが溜まってる時こそ

どうにもならないことを嘆いたり

文字を書いたりして

自分を慰める

 

話し相手がいなくて

自分とじっくり話していたから

 

中二病的な痛い文章を書いていた

割とそんな自分が好きであったし

 

読み返してみると

結構楽しかったりする

 

小さな出来事でも

よくよく考えて噛み砕いて

抽象的な文章ばっかりの妄言でも

話し相手が自分だから

理解しやすい

 

最近は書くことがあんまり思いつかないな

 

なんでだろうな

理由は2つ考えられる

①自分の性格が少しポジティブになったこと

②視野が狭く、思考力が落ちてしまったこと

 

このどっちかだろうな

前者であってほしいな

 

会社員になったからといってさ

めんどくさいことを省いて

会社員に馴染むことって

よくないよな

 

どこか

尖ってる自分でいたいな

自分で言っちゃう時点で

多分先端はまん丸なんだろうけど

 

アイデンティティをさ

働くことに逃がす自分ではいたくない

 

自分は自分

中身は変わらない

久しぶり

 

久々の投稿

社会人になって2週間が経って

思うことがある

 

 最初のうちは研修期間で社会人と名乗るべきじゃないけど

 

学生が終わったということで社会人と名乗らせてほしい

 

社会人という言葉を多用してるけど

卒業した瞬間に肩書きが社会人になって

とたんに社会と関わらなければ

人権がないくらいの勢いでほかの肩書きがなくなってしまう日本の右に倣えの精神はこわい

 

斜に構えても仕方ないし

いちいち噛みつけないから

社会人っていう言葉を使っていく

 

思っていたより

研修はたのしいし同期のことが好きになった

 

仕事のストレスは人間関係のストレスが大半なような気がする

 

出来る出来ないはあると思うし

やりがいのない仕事もあると思う

 

ストレスは

自分ではどうにもならないものに対して感じるような気がするから

 

仕事は練習すればなんとかなるし

やりがいも自分でなんとか見つけるくらいのこだわりのなさが自分の持ち味だ

 

 

ポジティブな性格なんて

何歩譲ったって言えないけど

 

ポジティブを演じる

元気を演じる

新入社員の元気さを演じる

 

そのくらいの感じで

 

ドキドキ

 

 

 

ネコよりヒマな毎日から

学ぶことが多すぎて

頭がパンクするような日々になるような気がする

 

いや

そうであるべきだ

 

大学四年間で学ぶことが多かったけど

しょうもない記憶が増えて、教養は減った気がする

 

だから

空いたメモリーにはスポンジみたいに

色々学べそうな気がする

 

都合のいいように

考えていくことは大切

 

 

言われるがままに学ぶ仕事と

自分で考えないと意味がない仕事があると思う

 

その2つの区別をしっかりしながら

…と思ったけど

 

何も知らないのに判断なんて出来ないか

 

うーん

色々難しいなぁ

 

無駄な部分を削ぎに削いだときに

残る心構えを何にしよう

 

自分をらしさを忘れないで、従順にいる

ことかなぁー

 

 

 

あなたに褒められたくて

 

 

本当に思いが入っているのに、入ってない素振りをするところが格好いいのかもわかんないですね。

 

 

これは高倉健の本に出てくる一文で

すごく心に残ったから

メモに残してた

四年前に読んだのにこの一文だけは鮮明なままだ

 

高倉健のことはあんまり分からないけど

硬派中の硬派

物質でいうとダイヤモンドくらい硬い人のイメージ

 

そんな人が

そういうことをいうと

やっぱ人情に溢れててかっこいい

 

 

その一文はやっぱり

人として大事な部分が詰まってるような

 

人に想いを込めて、親切にして

気がつかれること

気がつかれないこと

って大きな違いがあると思う

むしろ真逆のベクトルかもしれない

 

親切にする→気がつかれる→感謝される

親切にする→気がつかれない→感謝されない

 

前者は自分に返ってくるけど

後者は自分には全く返ってこない

 

なぜ人に親切にするのか、優しくするのか

少しでも感謝されたいと思っちゃうのと

本当にその人が良くなればいいとその人のためのことだけを思ってるのは

やっぱり全然違うよな

 

自分のためと相手のため

同じ行動でも目的が真逆になってしまう

 

少しでも気がついて欲しくて

見える優しさを出していく自分のしょうもなさを嘆く

 

自分は気がつかれなくても構わないと言った行動を取っていきたい

だけど、気がつかれないように隠された好意に気がつけるような繊細な人間になっていきたい

 

いうのは簡単だけどね

考えるだけで至難の業である

 

 

飲み

 

 

楽しかったなの足取りの軽さと

寂しくなるなの足取りの重さの

ちぐはぐ感でどういう風に足を運べばいいのか戸惑ってしまう

 

楽しかったの方に軍配が上がったみたいで

誰もいない橋の上で少しスキップをした

 

長時間話したのに

あっという間なあの感じが

楽しさを裏付けてる証拠だった

 

お笑いのネタで何が面白いかとか

どんな人が好きかとか

笑いのツボが浅いから

どんなことでも笑ってるから

ずっと楽しい

 

自分のことを褒めてもくれるしさ

 

半沢直樹的な仕事をするんだったら

倍返しをしないといけないのにな

 

言葉の境目がみつからなくて

 

選ぶ言葉がわからなかった

 

自分ことを聞き上手と評してくれてる割に

全然聞き上手にはなれなくて

すごく自分自身のことを喋らされる

 

2枚くらい上手をとられ続けた結果の

スキップなんだと思った

 

 

やっぱり素敵だなってさ

 

そんな存在でいてくれるせいで

 

やっぱりどうしても

次の場所で出会う他の人は勝てないよな

嘆いても仕方ないな

 

もっとポジティブを見習って

頑張っていこう

 

文字に起こせば起こすほど

自分の浅はかさが出ちゃうからこの辺で

 

 

 

 

 

 

 

卒業

 

 

今週のお題「卒業」

 

大学卒業までしたけど

人生の中で一番嬉しかったのは

もしかしたら補助輪卒業かもしれない

 

学校の卒業なんて

卒業したくなくてもしてしまうものが大半だ

時期が来れば皆卒業

一斉に卒業

 

でも補助輪だけは

自分の足で

自分の意思で卒業していかなければならない

 

しかも補助輪つけているときは

あんな細い二輪で自分がバランスを取れるようになるのかと不安になってしまうし

補助輪無しの自分の姿なんて想像出来ない

 

出来ないことが

出来るようになるってのは

この感覚だと思う

 

だんだんと出来るんじゃなくて

ある日突然出来る訳になる

境目っていうのは、思ったよりくっきりとしたものなんじゃ無いかなって

 

一回出来るようになったものは

成功率がどんどんと高まっていき

最終的には失敗することさえ難しくなってくる

 

こけることさえわからないような状態になる

 

目の前に広がる霧が一気に晴れるような感覚を

卒業とよんでみようかな

 

初心者卒業

ペーパードライバー卒業

 

卒業するためには

泥臭くやってこけてこけて、こけ続ける気持ちが大事なんだろうな

 

そういうのがやる気、情熱なんだろうな

 

来週からは

新社会人としての一歩を踏み出す

目の前には濃霧がたちこめていて

右も左もわからないだろう

 

だけどそれが晴れた先には

補助輪卒業と並ぶかそれより少し下くらいの達成感はあるだろう

 

補助輪なく走れた時は

空へと旅立ちそうな嬉しさがあったから

それを超したら大したもんだよ