はんなりブログ

何者でもない人間の日常。気軽にコメントください。

惰性的な

 

 

 

いい意味でもわるい意味でも仕事に少しずつ慣れてきたところ

 

1日の大きな時間のなかで

あまり大きなことを考えなくなっている

 

目の前のことに夢中になって

人生的なことや精神的なことなんか

ほとんど考えなくなって

 

毎日をなんとなく

惰性で生きている感じももちろんする

 

リズミカルな生活が心地よいのだけれど

本当に心地よくていいのかなって

思わないといけないのかな

 

よくわからないけど

珍しくストレスもない時期

毎日が楽しくあり

引きつった笑顔なんか出てこない

 

みずから進んでやり始めたことじゃない

やれと言われたことを

とりあえずこなせるようになったことで

充実感を感じる自分は

しあわせばかなんだろうな

 

意味や意義なんか求めはしない

ただなんとなく

ぼんやりと生きて

ものごとを進めていく

 

それでいいとも思っているのだけどな

 

 

しあわせ

 

 

人生ずっといっしょにいるのは

自分だけだから

 

自分のことだけを考えて生きることに

なんの疑問も抱かない

 

ましてや一回しかない人生だと

仏教徒ながら思っているから

 

より自分のことだけを考えて行ったほうがいいに決まってる

 

自己中心的になれば

悩みなんかは少しは減ってくるような気がするな

 

傲慢な人って悩みが少なそうだよね

って言うど偏見をかましてみる

 

自己中心的っていうと

他人に迷惑をかけたり

周囲を顧みないようなイメージがあるけど

 

言いたいことはそうじゃなくて

 

自分の喜びを感じることをする

 

ってことが自己中に生きることだと思うな

自分の喜びが他人の不幸をみることだったりする人は論外だけどね

 

そういう人がいないことを前提にものごとをすすめたいけど

いる場合には、関わることをすっぱりやめてしまえばいいね

幸か不幸か

関わらない人の方がおおいから嫌な人1人くらい人生から抹消してしまっても

なんの支障もきたさない

 

人の幸せは人それぞれだから

1人の趣味を楽しむのもよし

誰かのために奔走するのもよし

 

とにかく自分にとっての幸せにむかって

ちょっと動いていくのがいいかもね

 

その考え方になったとしても

実際の言動は変わらないかもしれない

 

だけど

自己中に幸せを追い求めることは

思ったより

楽に生きられるかもしれない

 

タイミング

 

 

20歳の時に何をしていたか

雑誌ポパイの特集

 

大学時代ちょうど20歳の時に購入して

引っ越しの時もなぜか捨てることが出来なくて

今も本棚に飾ってある

 

分かるとか

為になるとか

ターゲットの年齢からは離れていってしまうことに

飾ってあるだけで気がつかなかった

 

多分そんな感じで

鮮度は結構大事なんだろう

 

恋は

タイミング

フィーリング

ハプニング

って言うらしいしさ

 

何をするか

何を読むか

何を感じるか

誰と関わるか

 

の順番もすっごく重要なことに

気がつかないよな

 

もう雑誌はいらないのかな

読み残したまま

それは腐っていく

 

今できることを今しよう

思ったより自分は子供の精神のままで

思ったより年齢は重ねていく

 

20歳という節目から

なかなか外れていってしまうのは

成長していってるってことなんじゃなかろうか

 

 

寝てる

 

 

私に計画性と実行力があれば

もっとまともな人間になれていただろうと思ったりもするけど

 

計画性と実行力があったら

自分らしくないなって思ってしまう

 

弱い部分は目立つからさ

埋めちゃうと個性が死んじゃうや

 

計画がないことはどんなこともできる

無限の可能性を秘めている

 

でも、実行力がないことは少し問題かな

というか大問題

 

布団の上にいても

人生のマスは進まない

人生ゲームのサイコロを振ろうとしない姿勢は

面白くない

 

 

人生なめてると言われても仕方ないな

 

おわる

 

 

GWが終わるけれども

10連休の貴重さを私はまだ知らないのかもしれないな

 

飲むか寝るかのどちらかしかしなかったな

もし今後体調に異変が出るとしたら

それ確実にGWに飲みすぎたからだろうな

沈黙の臓器が沈黙したまま使い物にならなくなって

そのままポックリ逝っちゃいそうな勢いで

 

肝臓は10連勤してるし

繁忙期には違いない

 

そうなってくると

休んでるのは一体

なんなんだ

個体としては生きたまんまじゃないか

コールドスリープで全細胞を寝かせて

10日間休んだら10連休と言えるかもしれないな

 

 

そう考えてみると

仕事の有無だけで10連休かどうかっていうのを決めるのは

狭すぎる価値観だと思えてきた

 

だからその休みがおわるとしても

なにも不安になることもない

なにも憂うこともない

 

ただ、淡々と生きていればいいだけなんだ

休みと勤務の間には悩むほどの違いはないのだ

 

そういう考え方をすると

本当の境目は

生きるか死ぬかのところでしかないんだろうか

 

 

1日1日

 

 

 

1日1日を大切に過ごすのは難しい

1日が人生なのにね

 

1日を大切にするってでも

具体的にどう行動すればいいのかな

 

少しだけでも

頑張る時間を作るのがいいんだろうな

 

そしてそれを毎日続けること

 

それだけ

 

それだけにも2つの意味があるね

たったそれだけの意味か

それだけの偉業とかの意味か

 

全く逆の意味

 

多分継続は後者の方だろうな

1日10分でも

勉強しないとな

余裕で時間あるよな

 

1日を少しだけ頑張るのは難しいな

 

それだけで人生充実するのかな

 

自分が今なにを欲していて

人生をどう過ごしたいかっていうのをさ

 

人生を遠目でみたらわかんなくなってるな

 

仕事で悩んでるわけでも不満があるわけでもないけどね

 

 

なにを軸にしていきていけば

軸がないのが軸なのかな

 

 

 

 

平成最後

 

 

平成最後の日は最高に2日酔いでスタートさせてしまったから

 

記念すべき1日が意外と何事もないただの1日になろうとしてる

 

でもせっかくだから人生を振り返ろうかな思ったけども

 

しょっちゅう振り返ってるから

まぁいいや

 

もろもろのものを

平成においていって

新しい時代を生きてゆく

 

とは言いつつ

毎日毎日が新時代で

毎朝毎朝新しい気持ちで生きてゆけ

 

2日酔いでもう

とくに言いたいことも考えたいこともないけど

とりあえず記念である今日になにかをかいときたいとおもった

 

私が社会人生活を始めたこの1ヶ月

新時代の到来であり

全く人生のメカニズムが変わった一番大きなターニングポイントだった

 

お金を払って学んでいた

学びながらお金をもらえている

現時点では給与に釣り合った働きは全くできていないから

学びながらお金をもらっている状態だ

 

その環境には少なからず感謝して

生きていこう

 

そして

とりわけ変わったのは

人間関係で

たくさんの人と関わらざるおえない状況になってしまった

 

楽しいのは楽しいけど

そんな人生を歩んでいなかったから

これでいいのかなんて思ってもいる

 

自分らしくはないけど

何年かしたらこれが自分らしさになってくるんだろうかなぁ

 

とりあえず慣れていないから

頭がぐるぐるしちゃうな

それは

2日酔いのせいか