よくわからない何かを信じて
よくわからない何かに流されて
ものごとを決めてきたかもしれないとふと思った
ハイデッカーのいうダスマンみたいなものになっている
テスト期間になって、『金融』という、いかにも経済学部ですけど。みたいなオーラが出ている科目を勉強をしながら、自分はなんでこれをしているんだろう。
頭の中はぐるぐるうるさいのに、図書館は静かだ。
でも、今さらそんなことを言ってる学年でも無いから、おとなしく勉強をする。
4単位の重さをひしひしと感じながら、現実逃避のための、文章を綴る。
「誰にでもわかる」とついた金融論を手に取り、席に持ち帰るが、わからない。
自分は誰でもに含まれてもないのか。
かわいらしい表紙とは裏腹に、自分にはわからない言葉がずらりと並んでいる。
テストの過去問の量は1ページの半分くらいしかないけれど、わからない言葉が、ぎゅっと圧縮されているから、なかなか進まない。
金融政策決定会合、貨幣数量説、補完当座預金制度、南無阿弥陀。
勉強していることがわからなくて、勉強そのものの意味を考えだすのは、典型的な現実逃避だよね。