どこどこに行ったからには
なになにを食べないといけない、見ないといけない
みたいな名物がある
京都のムーンウォークというバーで
電気ブランを飲んだことがある
森見登美彦の小説に出てくる飲み物のモチーフとなっているからというだけで飲んだ
普段はブランデーなんて飲まないから、電気ブランなんてやっぱり美味しいとは思わなかった
でもムーンウォークに来たからにはとりあえず電気ブランをロックで飲んでおこうみたいな
自分の中の掟みたいなのができていた
自分の中ではハズレの一杯だった
それでも、その一杯を飲んだという事実は揺るぎないものとして、蓄積されていく
飲むか飲まないかの差なんてどうでもいいだろうし、人生においてなにものにもならない
人生単位で考えた時には、これといって必要なものなんてほとんどないんだと思う
それでも、どこかへ行った、何を食べた
とかは
飲み会単位でみたら、なにかしらのつまみにはなる
やってなくても、やった風に話す想像力や嘘力がありさえすれば、なにもしなくても、豊かなトークができるかもしれない
けれど、その一杯を飲んだかどうかが自分の中では、なんとなく重要になってくる