はんなりブログ

何者でもない人間の日常。気軽にコメントください。

甲子園

 

 

みのまわり

ほんとうにありとあらゆる娯楽で満たされて

いつでもなんでもある

 

情報を発信するハードルがどんどん下がって

多種多様なニーズに合わせた娯楽を提供できるようになっているから

どれを選ぶのかはその人次第である

自由な反面、責任は自分でとらなければならない

 

主体性がない人間にはまさに存亡の危機に瀕しているといっても過言ではない

 

規模は小さくなったといえど

多種多様になったコミュニティでわいわいしていることもできずに

どこかとり残されたような感覚に陥る

 

自分で好きなものを決められなかった人間の行く先に明るい未来はなに1つない

 

皆が主人公になれる時代で

主人公にはなれずに

それらを応援する人にもなれない哀れな人間

 

自分がこういう人になる可能性を秘めているかどうかというのは一発でわかる

 

それはにわかファンになるかどうかだ

ひと昔前でいえば

なでしこジャパン金メダルや

ラグビーワールドカップでのジャイアントキリング

 

最近でいえば

ベルギー対日本の試合

甲子園決勝

 

それらの大きな試合でにわかに感動してる人

その後にはもう見向きもしなくなっている人

 

たしかに

奇跡的なドラマがあって

多くの人の注目を集めて

日本中を1つにするようなパワーを持っているすごい出来事だ

趣味嗜好が多様化する中でそのように

国民全体が盛り上がりをみせるようなコンテンツは少ない

 

だからこそ

そういう盛り上がりに1つの安心感を覚えてしまって

本当に自分にとって良いものかどうか

感動するものかどうかという判断を省くことができる

にわかファンは最も鈍感だといえるのかな

 

大きな注目を集めることは大変に良いことで

その業界にとってプラスになる

裾野が広がることでお金や人が集まってその業界が盛り上がっていく

にわかファンを拒否する理由なんてどこにもない

ほんとうのファンにしていく努力

ほんとうのファンを増やしていくのが今後の生き残りをかけた競争になるに違いない

結局、産業というのは一部のプロではなく

不特定多数の消費者を相手取ることで大きくなっていく

高度経済成長も大衆の消費力なしには絶対に達成しなかった

 

話がすごく脱線してしまったけど

今日のテーマは

にわかファンはにわかのままで良いのかということだ

リンカーンの言葉を借りていえば

にわかのにわかによるにわかのための議論だ

 

全員が注目するようなおおごとにならないと

自分の心が動かないような

主体性のなさでいいのか

 

そして

自分でなにが好きかを判断しないまま

流され続けていいのか

 

 

コンテンツが多種多様になっていって

コミュニティが小さくなっていったとき

選ぶ力が必要だと思う

決めるのは自分しかいない

好きなものに責任を取ろう

 

 

それにしてもすごく極端な話をしたな