はんなりブログ

何者でもない人間の日常。気軽にコメントください。

はたらく細胞

 

 

はたらく細胞

最近なんか目にしてたから

観てみることにした

 

生物基礎を高校の時にしてたけど

これを高校の時に観てたらもっと楽に点が取れていただろうと思う

 

普通に勉強になるし

めちゃめちゃ覚えやすいと思う

よく語呂合わせとか

なんとかを駆使して

色々覚えようとするけど

アニメで覚えられる時代が来るとは

先生の存在はいよいよ危うくなって来るのではないか

 

面白い話をする先生が人気があるように

何か一芸をなければ生き残れない競争時代の幕開けだ

 

勉強以外のなにかを必死に得なければならない

 

まぁ

はたらく細胞の話は

赤血球とか白血球が擬人化してて

ウイルスとか怪我とかトラブルが起きた場合に

体がどう言う動きをするかを

どのくらい忠実にかはわからないけど

多分だいたい忠実に描いていると思う

 

主人公の名前もなくて

赤血球、白血球ってしているし

覚えやすいようになっているんだろう

 

とにかく

覚えるためには手段を選ばない方がいい

 

カロリーを気にしている人のために

豆腐ハンバーグができたように

 

人間はどうにかこうにか楽をしようとしている

いかに楽に目的を達成するか

目的達成のためには沢山の手段があると言うことが面白い

 

ゴールに行くためのルート選びはとても大事だ

ルート選びで勝負が決まる世界も多々ある

 

だけど

生物基礎くらいのレベルなら

たくさんの手段があるはずだ

問題集を沢山とく

一問一答をする

友達と問題を出し合う

わかりやすく絵を描く

アニメを観る

教科書を読む

 

もう本当に沢山あるし

人によってやりやすいやり方がある

それが面白いところ

 

もう一つ面白いのは

問題の答えは1つだってこと

そしてわかれば同じ答えを出せるってこと

思考回路は人それぞれなのに

マークする答えは1つ

それがなんとも面白い

この事実だけで

AIは人間を超えられないような気にもなって来る

 

全然

人工知能の知識なんかないけど

 

そして

同じような話前にも書いた

絶対書いた

ような気がする

 

 

37兆個もの細胞が働いているのに

全然働かなくてどやってる自分

めっちゃ面白くて泣けてくる

 

台風

 

 

 

台風が過ぎ去って外に出ると

 

葉っぱはあらゆるところに散乱し

雨どいは外れて

看板も落ちていた

 

今回は被害が大きかったんだなぁと

鉄筋のアパートでのうのうと寝ていた自分を思い出した

 

あれだけの風を巻き起こすものを作る自然というものは恐ろしい

 

大海のどこかで

あれよりもっと強い風の台風が発生して

海面を凄い勢いで上昇させながら

勢力を増す

 

自分の知らないところで

確実に起こっているであろう現象を想像して

少し見たくなるような

少し怖くなるような

そわそわとした気持ちになる

 

台風の発生と同じで

わからないものや自分に関係ないものに対しては

無関心になる

 

少なくとも自分はそんな人間だ

台風がこうやって近づいてきた時にだけ

速く流れる雲を見上げる

 

 

自分の近くであったことじゃないと

ことの重大さをわかってあげられないのかな

 

 

 

焦り、不安を抱えながら生きている

それは誰でもあることだと

一言で片付けて仕舞えば

幾らか簡単な話だろうが

そんなゴールで満足するなら

幾度も考え直したりしないだろう

 

思えば

人生で一度も悩みがない日はあったろうか

次々と目の前に出てくる現実に対処するばかりで楽しむようをどこかに置いてきてるのではなかろうか

 

どんなに苦しい思い出だって

振り返ればいい記憶になるのは

どうしてだろうか

 

苦しさを忘れたからだろうか

大人になって心が強くなったからだろうか

それとも

そうでもしなければ生きていけないからだろうか

 

その他どんな理由であっても

苦しい思いを美化するのは

無責任な行為だろう

 

その当時はそんなことで悩んでいたのかと

鼻で笑っている

そしてもっと楽しめばよかったという

あたかも

自分が今だったら楽しめると

自分は成長したと

思い込んでいるのは馬鹿だ

 

今を楽しんでいる人ならば

その言葉を言う権利がある

しかし

今を楽しんでいる人は

その言葉を絶対使わない

 

なぜなら

今を楽しんでいるから

トートロジーだけど間違っちゃいない

 

昔を懐かしんではいけない

振り返ってはいけない

振り返るともう2度と現実には戻れなくなる

 

千と千尋の神隠しに共通する部分が見えたような気がした

 

過去に執着した瞬間に

現実を捨てることになるのかもしれないな

 

過去に執着はしてるつもりはないけれど

 

未来に現在を左右されている

未来に起きる

憂鬱を今考える必要もないのに

無駄に考えてしまう

心配事の9割は起きないのに

考えてしまう

 

そんな自分は今を生きられていない

 

ようするにダラダラ

御託を並べているけれど

とりあえずバイトがだるいって言いたいだけ

こねくりまわしたら落ち着けるんじゃなかろうか

 

 

 

 

増量

 

 

半年前から4キロ近く体重が増えていた

ここ1ヶ月でほとんど増やしたものだ

 

それでもまだまだガリガリだし

実際にどこがどう変わったのかはあまり実感はないのだけれど

重くなった

 

あと4キロでも増えれば

とても嬉しいし

そのための努力やお金を惜しまない所存である

 

社会人になるとストレスが多くなって

元気もなくなってくるから

 

あと半年でどこまで自分が変われるかが

人生を左右する大一番である

 

しかしここ最近で確実に太ってきたことから

自分もやり方次第では変わることが出来るのだ

という確信を得ることができただけでも

全然違う

 

嬉しい

 

相変わらず量は食べられないし

会食恐怖症は治っていない

 

だいぶ前の話になるけど

気になる人とランチでパスタを食べた時

リアルにふた巻きくらいしか食べられなかった

お腹は空いていたはずなのに

一人前の決められた量が出てきて

食べないとと思った瞬間に

何も手がつかなくなってしまう

なぜか飲み込むことができなくなってしまう

 

それ以来、あんまり誘えなくなってきた

飲みはいけたけどランチは無理だったな

 

だからご飯は気の知れた人としか行きたくない

 

これは生きづらい

社会人になってこれがキツくて

ストレスになって、体力がなくなっていくという悪循環に陥りそうだ

 

まぁこの話はどうでもいいんだ

 

つまり食べられなくても

痩せを改善するできる限りのことをしている

 

そしたら少しだけ結果が出てきた

自分が一番不可能だと思ってきたことの

増量の一歩を踏み出せた

 

増量に成功したら

自分は何にだってなれる

空だって飛べる

 

究極完全体セルくらい完全になれる

というくらい自分にとって大きなピースが今かけている

 

実際は全然いびつな人間だけど

そう思いこむだけの

欠点や弱点は人はそれぞれ抱えているはずだとおもう

 

他人からみたら

そんなこと悩んでしょうもない

って思われることも100も承知だ

 

そう

悩みというはそういう問題で

実際の深刻度とは無関係に

その個人にとってどのくらい悩むのか

それのみによって決定されるから

自分の価値観に当てはめずに

その人の捉え方を変えさせるような

言葉の掛け方ができれば

その人を楽に出来る

 

だから

究極にしょうもない悩みを

究極に真剣に悩んでいる自分には

 

より他人の悩みを一生懸命に悩める良さがある

そうやって自分で自分を褒めていかないと

誰も褒めてくれないから

 

体重を増やすことを書こうと思ったのに

変な感じになってしまった

 

それだけコンプレックスってことだな

万歳🙌

 

 

 

ノート

 

よくよく

ノートを綺麗にまとめるのに満足してしまって

肝心の中身は頭に入ってない現象を否定する

 

ノートを綺麗にまとめることは

勉強においてはすごく大事なことだし

そもそもその人にとっての美学を効率の面から

否定することは考えた方がいいような気がしてきた

 

なぜなら自分が最近

ちょっと勉強していて思うことは

ノートの取り方はめちゃめちゃ大事だと痛感しているから

 

高校までは綺麗にまとまられたものが

毎時間、板書されては消されていた

そのままただ模写するだけでも

ある程度は見やすいノートが完成される

 

ノートの取り方にこだわりがない人間でも

しっかりまとめることができる

 

人間頭の中で考えられることには限界があって

ノートに可視化することで

ある程度

複雑なことも体系的に理解することができると思う

 

自分はノートの取り方が下手なことに気がついた

不要なものを書いたり

分かりにくい言葉を並べたり

変な矢印があったり

まとめ方が統一されてなかったり

 

 

だから

つまり難しいことを考えられる力ついてないんだと今更ながら気がついた

 

どうして出来ないのか

どうすれば出来るようになるのかを

もう少し考えながらやっていくべきだ

 

難しいことを考えられるようなることは

ノートを上手くまとめられることと

近いような気がしてきた

 

だから

まずはノートを上手くまとめられるようになれば

深い思考力を身に付けることができるようになるのではないか

 

そう仮説を立てて

実践をしてみる

 

ノートを上手くまとめられなくても

天才はいるじゃないかという反例が多々あると思うけど

 

そういう人たちは

脳の中にすでに

とても大きなスケッチブックを抱えているに違いない

 

その余白が少ない人たちは

紙に覚えさせて

次の思考に移っていくことで

深い思考をしていく方法を取るのがベストなんだろう

 

だから分かりやすくノートをまとめるのが

それなりには重要になってくるんだろう

 

 

 

 

睡魔

 

何もしないと家でダラダラしていると

日が暮れる頃に猛烈な睡魔に襲われた

 

そして

猛烈に不安になるような夢を見た

自分のこれからも続いてゆく人生の不安を

全部凝縮したような

 

寝込みに現れた

裸になった心を突かれたような

不安に襲われる

 

目がさめると

その余韻がまだ心に残っているけれど

時間が経つうちに去って行く

 

浅い眠りは

心のガードが一番弱いということを学んだ

 

何も聞こえない1日は良い

何も意味のない1日もたまには良い

 

だけど最近はそういう日が非常に多い

危険なことだとわかっている

それは自分の価値観が凝り固まってしまって

自分で自分の世界を作り上げ過ぎてしまうことにある

 

心にも風を通したいと思って

もどかしい気持ちになるんだろう

 

まぁでもいいや

極端な生活は絶対になにかの役に立つ

そう根拠のない考えを持つことで

自分を元気づける

 

近頃はLINEもそんなにしなくなった

前までは人との繋がりが欲しかったけれど

今はどうでも良くなってきた

 

ここ最近

自分の中で変わったなと思うことは

答えを持たなくてもよくなったことだ

答え持たない余裕が出来たこと

正解を出そうとしないという選択ができるようになったこと

 

共感

 

知ることが幸せにつながることはない

 

勉強をしておけば良かったのに

健康に気をつけておけば良かったのに

 

と自分の後悔を下の世代に知らしめる

アドバイスを100%聞いてもらえるはずもないのに

同じ失敗を繰り返す人に対して

だからあの時にこういったのにと

ため息まじりの説教をする人もいる

 

知ることとは経験することだとしたら

人を伝って聞いたことなんか、なにものにもならない

 

だけれど

他人に対してその程度しか出来ない

それが最大限のできることなのだ

願いを込めて、経験を語ることだ

自己満足になってしまうけれど

 

 

当たり前のことを当たり前のように語っている

昔話をありがたく思うのは

教訓が得られるからじゃなく

共感が得られるからなんだと思った

 

つまりそれは

下の世代になんとか説教を垂れたいが

自分の言葉や人格に説得力がなくて

昔話に威を借りる

説得力増強剤としての需要があるからなんだと思った

 

だから

何も知らない子供が、知らないことを知るための需要があるわけじゃなくて

 

物語に共感した大人が、子供に知ってほしいと思う需要が大きいんだと感じた

 

そう考えたら

考えが180度変わるような目新しいものじゃなくて

なんとなく心当たりのある共感できるものを書いた方が

人々に親しまれるだろう