夢はより大きい方がいいのか、小さい方がいいのか
色々な意見があると思う
自分自身、寂しい話だけれども、夢なんかないし、大きな夢を語ろうとすると、どうしてもちっぽけな自分がより浮き彫りになってくる感じがする
すごいことを成し遂げな人は、もれなく自分の夢に向かって前進してきた
誰にもできてない大きな夢でさえ、自分だったら叶えられると、信じてきた
ノーベル賞受賞や、オリンピックの金メダリスト
周りへの感謝を口々にするけれど、本人の努力なしでは到底叶えられないものであるとおもう
自分も大きな夢を持とうと思った
理由は2つある
1つ目は、夢よりステキな現実なんてやってこないと思うからだ。
どんなに偶然にうまくことが運んだとしても、夢より大きな自分なんてやってこない理由は、夢を叶えてしまったら、そこで努力をやめてしまうからだ。
現状に満足してちゃ成長なんて考えられない。
2つ目
目標よりも大きな夢を持つことで、そこを通過点にしてしまう。
そうすることで、やり簡単に自己実現は出来るのではないかと考えたからだ。
ゴールを通過点にしてしまう作戦。
実際に、北島康介はプールサイドにタッチすることがゴールではなく、タッチしてタイムの画面を見るまでをゴールにして、最後まで気を抜かないようにしたそうだ。
そんなこんなで、自分の夢を発表しようと思う。副知事になる。
ビッグマウスだけども、いまたらたら書いたように夢を持つことに意味があると考えた。
でも、燃料となる理由の質が悪いのなんの。
粗悪、粗悪。
できれば、地域活性化とか福祉向上とか高尚なハイオク燃料が良かったな。