はんなりブログ

何者でもない人間の日常。気軽にコメントください。

写真と動画と肖像画

 

 

今はどうしても過去になってしまうし

過去になってしまったものは

写真や映像では

見返すことができるけど

見返すことしかできない

写真でいえば0.001ミリさえもその範囲の

外を見ることはできないし

動画でも1フレームたりとも違う景色を

再生することができない

 

その不自由さをよくよく突き詰めてみると

なんとなく寂しさを感じてしまうときがある

あんまり言葉にはできないんだけどね

 

幸いなことに

別に死ぬほど戻りたい瞬間が

後悔があるわけじゃないし

今が幸せなことが前提ではあるけど

もう2度と戻れない

確定しているという

シンプルな事実が寂しいのかな

 

それとも

もう画面の中でしか確認することができない

でも

確かにあったと言う事実は存在していて

自分の頭の中反芻するしかない

だんだんと薄れていく記憶に対して

寂しさを感じてしまうのかな

 

そんなことを考えてたら

ハリーポッターに出てくる

校長室のしゃべる肖像画

あれも過去の記憶のみでできているから

相談はできるけど

新しいことは学ぶことはできない的な

設定があったような気がするよな

なんかそのもどかしさと似ている感じが

するななんて思ってさ

 

本当にその設定だったかなって

ネットで検索してみることにしたら

ふと検索履歴に

 

プロポーズ 花束 どこで買う

ユニバ プロポーズ

プロポーズ 付き合った場所

 

ってワードが出てきた

あぁ確かに過去には戻れないけれど

こういう思い出し方は不意打ちだったな

寂しさだけじゃない気持ちを思い出したし

 

同じ過去を共有出来る人がいるありがたみって

言葉にならないなって思ったよ

 

そう考えたら

同窓会したとき昔話に花を咲かすことって

貴重なことだし全力でするべきなんだろうな